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なんでもない日の幸福/あるいは、n年後の君へ(竜號)

ゴウが居そうな場所を探したが、一通り回ってみてもその姿が見えない。格納庫を彷徨っていると、整備士の一人に声を掛けられた。
「あ、竜馬さん。ゴウさんなら外にいますよ」
あっけらかんと言われて、竜馬は眉根を寄せた。なんで俺があいつを探してるって分かったんだと言いたげな表情をする。しかし釈然としないでいるのは竜馬だけで、周囲の人間は何一つ違和感を覚えていない。竜馬があちこちふらふらしているのは決まってゴウを探している時なのだ。その事実を誰もが理解していて、「いつものこと」だと受け止めている。

「外ってどこだよ」
「さあ……洗濯物を干しに行くって言ってましたけど」
「洗濯物?なんであいつが」
「本人に直接訊けばいいでしょう」

自分は仕事があるんで、と言って整備士はさっさと行ってしまった。あとに取り残された竜馬は首を傾げる。洗濯物を干せる場所なんて、まるで心当たりがなかった。



日差しが燦々と当たる場所。風の通りがよく、適度な広さがある場所。ランドリースペースからはそう遠くはないはずだ。洗濯物を干すのに適した条件を列挙し、近場で当て嵌まりそうな場所を探す。道すがら、宿舎の洗濯担当だという御婦人にゴウの行き先を尋ねたが、「ああ、あそこよあそこ!知らないの?そこの角曲がってダーッと行ったとこ」と要領を得ない答えしか返ってこなかった。結局風の吹くに任せるまま歩いていったら、探し人はそこにいた。

風が吹いている。
さわさわと揺れる芝の上、物干し竿に掛けられたシーツがはためく。干された洗濯物の隙間から、ゴウの頭が見え隠れしていた。

名前を呼ぶと、ゴウがぱっと顔を上げて竜馬を見た。嬉しさからか表情が綻んでいる。
「竜馬!」
ゴウがこちらに駆け寄ろうとするより先に、竜馬は前へ進み出た。ゴウの足元に置いてあったカゴをちらりと見やる。二つある洗濯カゴのうち、減り方の少ない片方を手に持った。
「手伝うぜ。ここに干せばいいんだろ」
「えっ……いや、ありがとう。助かる」
ゴウは意外そうに目を瞬かせたが、素直に竜馬の申し出を受け入れた。二人は背中合わせになって洗濯物を黙々と干していった。竜馬の手付きは案外こなれている。

昔々――そう、欠伸の出るほど昔、洗濯をするのは自分の役目だった。父親と自分の分の汚れ物を洗濯板で洗って、竿に干して、取り込む。皺の一つでもあろうものなら容赦なく殴り飛ばされたから、父親の衣服の扱いには人一倍気を遣った。道場にはアイロンなどという便利な道具はなかった。大事なのは、干す時にしっかりと皺を伸ばすことだ。手首のスナップをきかせて布を伸ばすと、張りの良い音が響く。それがきちんと皺を伸ばせた合図だった。

「上手だな。竜馬にそんな才能があるなんて知らなかった」
ゴウが感心したように呟く。
「昔とった杵柄ってやつだ」
「むかしとったきねづか?」
「若い頃散々やらされて身に付いちまったってことだよ」
「竜馬は今でも若い」
「ははっ、そう言ってくれんのはもうお前だけだぜ」

二人がかりでやったおかげで、洗濯物はあっという間に干し終わった。大小さまざまの服やシーツが風に揺れている。ひと仕事終えた竜馬は、空に向かって大きく伸びをした。その隣で、ゴウが竜馬の真似をして両腕を突き上げる。太陽に照らされて、ふたつの影が芝の上に伸びた。

「そういやゴウ、なんで洗濯物なんか干してたんだ?お前の仕事じゃねえだろ」
洗濯係の御婦人が「あの子が手伝ってくれるって言うからねえ」とぼやいていたのを思い出す。
「オレがやりたいと言ったんだ。今日は天気がよかったから」
青空を見上げるゴウは、とても清々しい顔をしている。やりたかったことを成し遂げた満足感にあふれていた。

天気がいいから、洗濯物を干したい。その思考回路は竜馬には到底理解ができなかった。彼にとっては洗濯も干し物も、単なる労働にすぎなかったからだ。父親が押し付けてきた役目だから、嫌だと思っていてもやらねばならない。文句を言うことは許されない。自分から進んでやろうとは到底思えるはずのない苦行だった。

――ああ、でも。
ゴウの横顔を見つめていると、今まで気にも留めていなかったものの存在に気付く。頭の隅に追いやっていた記憶の欠片が、思い出してほしそうにきらきらと光を反射している。
――そうだな。洗濯の思い出は、嫌なことばかりじゃなかった。

洗濯物がきれいにぱりっと乾いた時には嬉しかったし、皺を作らずに干すコツを覚えてからは乗り気になったりもした。雨の日や梅雨の時期は、なかなか乾かない洗濯物の山を見つめて憂鬱になり、逆にからりと乾いた晴天の日は「今日は二回干せるかも」などと考えてスキップをした。取り込んだ洗濯物に顔をうずめて、太陽の匂いを吸い込むのが好きだった。苦しくて逃げ出したくて、地獄のように思えたあの日々の中でも、ささやかなやり甲斐や楽しみを見つけて生きていた。

洗濯という労働が苦でしかなかったなら、手伝おうという気さえ起きない。体に染み付いた習慣も忌まわしいものとしか思えなかったはずだ。しかし現にこの手は勝手に動き、慣れた手付きで洗濯物をきれいに干してみせた。……だから、きっと。本当は好きだったのだろう。

「……確かに、いい天気だ」
呟いた声は風に乗って消えていった。しかしゴウの耳には届いたのだろう、竜馬の隣で微笑みながら頷いた。
空はどこまでも青く澄み渡り、穏やかな風が吹いている。皺を伸ばされたシーツが波のように風の中をそよいでいる。空が青くて、風が気持ちよくて、干したものがすぐに乾く洗濯日和。ただそれだけの、しかしそれ故に大切な、なんでもない日だった。





2022/08/25

チェンゲ24周年おめでとうの気持ち…