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握った拳がほどけたら(拓カム)

肌を突き刺すような緊張感が場を支配している。その空気を作っているのは、一歩も引かずに睨み合う拓馬とカムイの二人だ。
たまたまトレーニングルームで鉢合わせたのが運の尽きだった。回れ右をしようとしたカムイを拓馬が挑発し、売り言葉に買い言葉、いろいろあった末に場所を移動して今に至る。カムイはクールぶった顔をしているが、その実非常に短気で好戦的だ。こうなるのは必然だと言える。

「なあお前らマジでやるのかよ?私闘は禁止されてんだろ?」
今日も今日とて両者の間に挟まれてしまった獏が、消極的に引き留めようとする。完全にスイッチが入ってしまった二人を止めることなど無理だと分かっているのだが、俺はあくまで反対ですよというアピールに余念がない。一緒に懲罰を受けるのはごめんだからだ。

両者とも、目の前の相手から視線を外さないまま答える。
「獏よお、こりゃケンカじゃなくて組手だぜ、組手。いつもよりちょっくら激しくなるだけだ」
「その点においてだけは同意だな。私闘ではなく訓練だ。訓練中に怪我人が出ても、『事故』であれば仕方あるまい。運が悪かっただけの話だ」
「おっかねえこと言うなよお前ら……つうかルールはどうすんだよ。お前ら戦闘スタイル違いすぎて勝ち負けとか決めらんねえって」

獏の言葉に、拓馬が鼻で笑う。
「勝ち負け?そんなん決まってんだろ。相手が『負けましたあ~』って泣いて縋ってくるか、」
「……相手を昏倒させるか、その二択だ」
拓馬の言葉にカムイが続いた。普段は反発し合ってばかりのくせに、こういう時だけは息が合う。獏は盛大に溜息をついた。「もうどうなっても知らねえからな!」と匙を投げて、始めの合図を送った。

睨み合い、互いに間合いを取る。先に仕掛けてきたのはカムイだった。目にも留まらぬ速さで瞬時に間合いを詰めてきた。拳を硬く握り締め、最初から容赦なく顔面を狙う。
――やっぱりお前はそういう奴だよなあ!
拓馬はその振りを見越して、掌でパンチを受ける。皮膚と皮膚がぶつかり合う、張りのある音が響いた。カムイが驚きで目を見開くのを見て、拓馬はニヤリと不敵な笑みを返した。同じ手は二度も食らわない。拓馬には、初対面でカムイに顔面を強打された借りがある。あの時は初撃のスピードに対応できなかったが、来ると分かっていれば受けられる。

しかし、初撃を防がれたところで引くカムイではない。すかさず中腰に構え直して連打。合間に蹴りも交えて拓馬のガードを崩しにかかる。息もつかせない怒涛の攻撃だ。それでいて、人体の急所をしっかり狙ってくる。詳しくは知らないが、カムイの戦い方のベースにあるのはおそらく軍隊格闘術の類だろう。効率的に相手を殺傷することに重きを置いた戦い方だ。スポーツ化した競技の試合なら即座に反則を取られるような攻撃を、躊躇いなく繰り出してくる。
このまま至近距離で受け続けるのはまずい。とにかく間合いを取らなければ――しかしカムイの猛打がそれを許さない。短時間で決める気か。

ふとカムイの攻撃の流れが変わった。僅かに距離が離れる。「何か」が来ると拓馬の本能が警鐘を鳴らす。拓馬は咄嗟に腹に力を込めた。
刹那、カムイが一気に間合いを詰めて拓馬の懐に入り込む。拳を腰に引き付け、一瞬の脱力。そして次の瞬間、溜めた力を一点に打ち込む。ワンインチパンチだ。
「……ッ!!」
腹に重い衝撃を受け、たまらず拓馬は数メートル後方に吹き飛ばされた。受け身を取り切れずに転倒する。

――発勁だと!?聞いてねえぞそんなもん!
拓馬はよろめきながらも態勢を立て直し、驚愕を顕にカムイを睨みつけた。咄嗟に腹筋を固めたのと、自分で後ろに跳んだことが拓馬の命を拾った。なんとか衝撃を分散させることができたのでこの程度のダメージで済んでいる。とはいえ今の一撃はかなりきつかった。まともに食らっていたら間違いなく内臓は破裂していただろう。




対するカムイは、残心しながら拓馬を見据えた。追い打ちはかけない。今の一撃でなお拓馬を仕留めきれなかったことに内心動揺していたのだ。なんてタフな奴だ。そしてしぶとい。
だが、確実にダメージは入った。拓馬の足捌きが鈍ったのを見て取って、カムイは次の手を組み立てていく。

『カムイ。近接戦闘におけるお前の強みはなんだ』
頭の中に、隼人の声が響いた。あれは数年前――カムイがまだ十五かそこらの頃だ。何の気まぐれか、隼人がスパーリングに付き合ってくれたのだ。
『スピードとパワー』
少し考えた後にカムイが答えると、隼人はにやりと笑った。カムイのパンチを難なく躱して。

『ちゃんと自己分析できているじゃないか。そうだ、ハーフのお前には、人間には決して得られない高い身体能力が備わっている。それを最大限に生かす戦い方をしろ』
『……素早く相手に近付いて、一撃で沈める、ですか』
『正解だ。お前の一撃は重い。当てられればそこで勝負が決まる。短期決戦を狙え』
『……もしそこで決められなかったら?』

カムイの問いに、隼人は言葉では答えなかった。代わりに歯を見せて物騒な笑みを向ける。カムイは血の気が引くのを感じた。それまで生きてきた中で一番――敵と戦う時よりも遙かに――「死」を感じた瞬間だったからだ。




「うわあ~っ!今のは効いただろ!流石に拓馬のヤローでも厳しくなってくんじゃねえか?」
獏の隣にいたD2部隊の一人が声を上げた。心なしか嬉しそうな様子だ。騒ぎを聞きつけて集まってきたらしい。D2チーム以外にも、なんだなんだとギャラリーが増えている。獏はぐるりと周りを見回してから、また拓馬とカムイの戦いへと視線を戻す。

「確かに効いてはいるが、致命的ってわけでもねえぜ。拓馬の奴、当たる前に後ろに跳んでたからな」
「ああ、だからあの程度で済んでんのか……って獏、お前ちゃんと見えてんのな」
「これでもカーンのパイロットだぜ。動体視力には自信がある。拓馬がムチャクチャやってんのは今までずっと見てきたしな」
「なるほどねえ……でも今回ばっかりは拓馬も分が悪いんじゃねえか?あの一撃以降、明らかに調子が下がってきてる」

彼の言う通りだった。目の前で繰り広げられている戦い、拓馬は序盤からずっと防戦一方だ。カムイの攻撃を受けて、流す。今はそれだけで手一杯といった様子だ。
「まあ、あのカムイが相手じゃ仕方ねえだろ。俺たちだって散々カムイのヤローにはぶっ飛ばされ続けてきたからなあ、あの凄さは身をもって知ってんだ。あいつと真正面からやり合って三分も保った奴は誰もいねえよ」
その言葉に、獏の眉がぴくりと動いた。
「獏よ、残念ながらこの勝負、拓馬に勝ち目は……」
「――三分ならもう過ぎてる」
「は?」
D2メンバー全員が獏を見た。しかし獏は二人の戦いから目を逸らさない。

「三分保った奴がいないんなら、それ以降のカムイの立ち回りは誰も知らないってことだろ。拓馬は頑丈さとしぶとさが売りなんだ、本領発揮はこれからだぜ。……で、お前らはどっちに賭ける?」
俺は拓馬一択だけど。
その高らかな宣言に、D2メンバーがざわつく。「え、やっぱ拓馬なのか……?」「でもこのままいけばカムイだろ」「逆転の可能性もあるってことか」「どうする……?」などと、顔を突き合わせて相談を始める。獏は彼らを横目に見ながら、戦いの様子を見届ける。これからだ。





カムイの拳が拓馬を攻め立てる。拓馬は腕を上げて頭を守った。すかさずカムイは狙いを胴体へと移し、肝臓や鳩尾――胴体の急所を殴る。拓馬は弾き返し、あるいは衝撃を流すよう試みるが、その防御をすり抜けて何発かは当たってしまう。唇の隙間から唸り声が上がる。
だがやられてばかりではない。拓馬は突きを繰り返して反撃した。カムイは俊敏な動きで避けるが、胸に一撃を食らって僅かによろめく。その隙を付いて拓馬が足払いを仕掛けると、カムイは舌打ちをして後方に跳んだ。

距離を詰めて打ち込むのがカムイの基本スタイルのようだが、拓馬は絶妙なフットワークで間合いを外していく。かと思えば、拓馬は一瞬で懐に入り込んできて投げ技をかける。緩急のある動きだ。カムイからしてみればやりにくいことこの上ない相手だろう。
猛攻を受け続けたことで、拓馬はカムイの立ち回りに対応し始めているが、カムイはまだだ。拓馬の動きにペースを狂わされている。カムイの目がいっそう鋭くなる。

拓馬はじりじりと距離を置きながら、カムイの様子を窺う。先程までよりも明らかに呼吸が乱れている。滲む汗。大振りになる技。動きも鈍くなってきた。持久戦は慣れていないのが手に取るように分かる。
カムイは、持ち前のスピードとパワーで、これまでの対戦相手を光の速さで撃沈させてきたのだろう。だが拓馬はそう簡単には沈まない。蓄積ダメージはあるが、彼の体力はそれを遙かに上回っていた。まだいける。拓馬は確かな手応えを感じていた。ここからが俺の戦いだ。

「なあカムイ。随分お疲れみてえだが、ここらへんでやめとくか?俺はまだまだいけるけどよ」
「ほざけ……ッ!!」

カムイが蹴りを仕掛けてくるが、やはり振りが大きい。拓馬は難なく避けた。カムイがまた舌打ちをする。
さて、ここからどう攻めるか。形勢は拓馬が有利になってきたが、それでもカムイは油断ならない相手だ。一瞬でも気を抜けば間違いなく致命の一撃が飛んでくる。


『拓馬。決して勝ちを急いではなりません。大切なのは勝つことより生きること。あなたに教えているのは、武道ではなく生きる術なのですよ』
それが拓馬の母親の口癖だった。
『戦いにおいては決して先んじるべからず。まずは相手の動きをよく見ること。そして水のように包み込み、受け流す。ここぞという瞬間を見極めなさい。時には長く耐えねばならないかもしれません。しかし、機は必ずやってきます。あなたにならできるはずです』


――俺ならできる。
自分に言い聞かせる。拓馬の目がぎらりと輝いた。その瞬間を決して逃さぬように目を見開く。するとカムイが忌々しげに叫んだ。
「……その目!」
拓馬の突きを弾いたカムイは、その勢いのまま態勢を低くして体を捻った。大技の前兆。拓馬が身構える。ひゅっと風を切る音と共に、後ろ回し蹴りが飛んできた。まるで日本刀の居合切りのような鋭さだ。速さだけでなく重さも伴っている。まともに食らえば即座に昏倒。しかし――大技ゆえにラグが生じる。

拓馬はその蹴りを頭上ぎりぎりで躱し、かがみながら下段の回し蹴りで応じる。足を払われたカムイはその場に崩れる。カムイが「しまった」という顔をするが、拓馬は迷いなく寝技をかけに行った。
両足でカムイの肘を固定し、関節を完全に極める。腕ひしぎ十字固めだ。反対の手でカムイの足を取って動きを封じる。固唾を呑んで見守っていたギャラリーが、その瞬間わっと歓声を上げた。

「ぐうぅっ……!」
「逃がすかよ……っ!」

カムイが逃れようと全身で暴れるが、疲労が溜まった彼の体力では力ずくで引き剥がすことも敵わない。拓馬も、この機を逃すものかと歯を食いしばってカムイを抑え込む。力と力のぶつかり合いだ。だがどう足掻いても極まった関節は抜けない。
「……ッッ!!」
カムイが血走った目を見開いた。いち早く拓馬がその異様さに気付く。もしかしてこいつ――

「そこまでッ!!」

馬鹿でかい声が部屋中に響き渡った。すわ神司令か、とその場にいた全員が身構えて声の方を見る。しかしその声は、想定されたものより幾分高い。
「お前たち、訓練サボって何をやってる!!」
仁王立ちの伊賀利隊長が、かんかんに怒った顔で叫んだ。拓馬とカムイは即座に離れて直立する。盛り上がっていたギャラリーもそれに続く。伊賀利は拓馬とカムイのもとへ荒い足取りで近付いた。

「拓馬!カムイ!私闘は禁止だと言ったはずだ!」
「……私闘ではなく、訓練です」
「お前らのそれは訓練とは言わん!!もう少しで大怪我するところだったろうが!パイロットとしての自覚がなさすぎる!」

大怪我、というくだりで、伊賀利はまっすぐにカムイを見た。お前、自分の骨を折って寝技を解くつもりだったろう――彼の視線にはそういった非難も含まれていた。カムイは俯いてその視線から逃げ、「すみませんでした」と頭を下げると、黙って部屋を出ていってしまった。
伊賀利にどやされて、ギャラリーたちも蜘蛛の子を散らすように退散していく。後には満身創痍の拓馬と、困った顔の獏、そして腕組みをする伊賀利が残された。

「……拓馬。どうせお前が先にカムイを煽ったんだろう」
「はあ!?事情も聞かないで決めつけんのやめてくださいよ!」
「じゃあどっちが先にちょっかい出したんだ」
「それは……」
「こいつです」
「あっ獏!てめえ裏切ったな!」
「だって事実だろ~?」

伊賀利は溜息をつき、「この件は預かっておく」と言った。厳重注意ということで、上への報告は無しにしておいてくれるらしい。拓馬と獏は同時に安堵の息を漏らした。あの神司令にばれたら今度こそどんな目に遭うか分からない。

拓馬は全身痣だらけになった自分の体を見回し、手を何度も開いたり閉じたりした。手酷くやられはしたが、動ける。
「……やっぱり序盤に防戦一方だったのがまずかったよな。あそこでダメージ溜めてなきゃもっと早く決められたはずなんだ。あいつの立ち回りに慣れるまで時間かかりすぎたしよ……」
拓馬はぶつぶつと独りごとを言っている。一人反省会だ。そしてたぶん、別室に行ったカムイも同じように反省会を繰り広げているのかもしれない。変なところで似た者同士なのだ、この二人は。

つうかあ発勁はかなり効いた。なんなんだあれ?カムイに訊けばやり方教えてくれっかな。あいつどこいるんだ?」
「さっきあんだけやったのに切り替え早すぎだっつーの!今の今で絶対教えてくれるわけねえだろうが!」
とんだ格闘モンスターである。相変わらず懲りねえ奴だなあ……と獏はうっすら、いやかなり引いた。

明日になったら、二人とも腫れ上がった顔を見合わせ、また憎まれ口を叩くのだろう。ふたつ並んだおかしな顔を見比べて、盛大に笑ってやろうと獏は心に決めた。






2022/08/07