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たった二人の兄弟だから(拓カムとゴール三世)

※拓カム結婚しろシリーズ
※「それも君が生きていくための選択からしばらく経った後の話 かつ「これより先は春」からの続き




籠の鍵を開けたあの時から、もう二度と会うまいと決めていた。自由と引き換えの離別だった。はばたいた鳥の翼は美しく、鳴き声は伸びやかで、どこまでも高く飛んでいった。今生の別れだとしても構わない。血よりも濃い繋がりはこの世界にいくらでもあるのだから。

……そうして送り出した義弟が今、非常に気まずそうな顔をして目の前に立っている。今生の別れだとうそぶいた舌の根も乾かぬうちの再会だった。百歩譲って、再会できたこと自体はまだいい。別に会いたくなかったわけではないのだ。問題は義弟の隣にいる人間の存在だった。流拓馬――恐竜帝国に仇成す呪いの血統が、どういうわけか義弟の隣で満面の笑みを浮かべていた。しかも見せつけんばかりに固く手を繋いで。二人の左手には、揃いの銀色の指輪が嵌められている。なぜ、まさか、と混乱する頭が言葉を出力する前に、流拓馬が繋いだ手を高々と掲げて言った。

「つうわけで……俺たち結婚します!」

まるで喜劇の一場面だ。開いた口が塞がらない。頭痛と目眩で視界が歪む。玉座から転がり落ちなかっただけでも褒めてもらいたいものだと心底思った。



「……そもそも貴様ら、どうやってここまで辿り着いた? 易々とくぐり抜けられるほど帝国の警備は甘くはないはずだが」
開いた口を無理やり塞いだゴール三世は、緩慢な動作で玉座に座り直した。人払いは済ませた。広間には三人しかいない。内密な話をするにはあまりに広すぎる場所であったが、移動をするのも億劫だった。流拓馬は意気揚々と答える。

「ああそれ、ちわーすって正面から挨拶したらすんなり通してもらえたんだ。すげえよな顔パスってやつ? カムイって未だに帝国民に人気あるのな」
「お前があまりに堂々としていたから、正式な使者かと勘違いしたんじゃないのか」
「なんにしろ楽に入れてよかったぜ。ちょっくら小競り合いになるくらいは覚悟してたし」
「一度スイッチが入ったら『小競り合い』程度では済まなかっただろう。今だって暴れ足りない顔をしている。面倒事を増やすなよ」
「え、顔に出てたか?」

黙って話を聞いてやっていればこの有様である。二人の手は今もしっかり繋がれたままだ。やはり見せつけられているのか? 頭痛と目眩が復活しそうだった。
そもそも帝国の兵士たちも間抜けが過ぎる。カムイは仮にも永久追放処分を受けた罪人だ。いくら帝国内で根強い人気が残っているとしても、そう簡単に領地に足を踏み入れさせるなと言いたい。平和ぼけしすぎた兵士どもには後できつくお灸を据えてやる必要がありそうだった。

――いや、そんなことよりも。
流拓馬の勢いについ流されてしまいそうになって首を横に振る。侵入方法などこの際どうでもいい、最重要事項はもっと先にある。カムイに視線をやると、また気まずそうな顔をされた。

「カムイよ。何がどうなって結婚などというとち狂った状況になったのか、一から十まで報告してもらおうか」
「はい……」
「おい待てよ、なんでカムイにだけ聞くんだ、俺もいるだろ俺も。それに俺たちは一つもトチ狂っちゃいねえが」
「貴様が入ると少しも話が進まんのだ、黙れ品性下劣人間」
「うわっ王サマがそんな悪口言っていいのかよ!口が悪いとこはカムイそっくりだな!今強烈に『血』を感じたぜ」
「……拓馬、いい加減に黙ってくれ」

しょうもない口喧嘩の気配を感じ取ったカムイが、拓馬の口を物理的に封じにかかった。口を塞がれた拓馬はもごもご言いながらやがて大人しくなった。有無を言わさぬカムイの圧を受けて、これは逆らうべきではないと本能で判断したのだろう。
カムイは居住まいを正して兄に向き直った。その赤い目は真剣そのものだった。流拓馬が「結婚します」などとのたまった時にはふざけているとしか思えなかったが、隣に立つカムイはこの場で一度も表情を崩さなかった。兄を驚かせようとしているわけでも、ましてや冗談で「結婚」の二文字を掲げたわけでもない。

「……本気なのか、カムイ」
弟は黙って頷いた。
「指輪はもう作っているようだが……籍は入れたのか」
「これからです。立場上何かと手続きが面倒なようなので」
「式は」
「やるつもりではいますが、未定です」
「そうか」
言葉が途切れる。束の間の沈黙が流れたあと、兄は目線を逸らして言った。

「先に言っておくが、わしは式には出んぞ」
「……はい」
「えっ?なんでだよ?」
それまで黙ってやり取りを見守っていた拓馬だったが、とうとう我慢しきれなくなったのか素っ頓狂な声を上げた。兄弟は揃って呆れたような目を向ける。

「貴様は忘れているようだから教えてやるが、こやつは帝国を永久追放されている身ぞ。仮にも帝国の関係者が――ましてわしが式に出られるはずあるまい」
「絶縁つったって形だけだろ。現に今こうして顔合わせてるじゃねえか」
「秘密裏に会うのと、式という公の場に出るのとでは意味がまるで違う。少しは我々の立場というものを考えろ」
「立場がなんだってんだ。そんなもんより先に、お前らはたった二人の兄弟だろ?」

拓馬の言葉に、二人は同じタイミングで顔を見合わせた。父親の遺伝子だけを共有した、似ても似つかぬ互いの顔を。



「流拓馬がいると一向に話が進まない」ということに気付いた二人は、示し合わせて別室に移動した。拓馬は始めこそ不満そうにしていたが、通された部屋の先で豪勢なごちそうが待ち構えているのを見るやいなや「じゃあ後は兄弟水入らずで!」と勢いよく掌を返した。腹を空かせた単細胞には餌付けが一番効く。

ゴール三世はカムイを温室へと案内した。帝国が深海の底にあった頃にも、似たような温室を兄は作らせていた。火星でもその趣向は健在だ。地球の青い空への憧れは、それが永遠に失われてしまった今でも消えることはない。そして、二人だけで話をするのはこの場所だと、暗黙の了解のようなものが両者の間にいつのまにか出来上がっていた。
温室の中央に備え付けられたテーブルと椅子に腰掛ける。玉座とは比べ物にならないほど粗末な椅子であったが、向かい合って話をするにはこれが一番適している。

カムイはしばらく逡巡していたが、やがて小さな声でぽつりぽつりと話し始めた。拓馬と獏に手を差し伸べられて、牢を抜け出した後のこと。三人で火星の大地を旅したこと。火星で繰り広げられた戦いのこと。戦いの中で、流拓馬が信頼に足る存在であると認めたこと。その感情がいつしか、仲間としての信頼を飛び越していったこと。そして結婚という約束を交わすに至ったこと。

まるで報告書を淡々と読み上げるような口ぶりだった。語られる内容に反してカムイの感情がまったく追いついていない。そこまでして抑制しなければ、溢れ出るものに歯止めが利かなくなるのだろう。
兄は今更になって、弟に「本気なのか」と問うたことが果てしなく野暮であったことに気付いた。この弟が本気でなかったことなど一度もなかった。良くも悪くも愚直すぎるのだ。溜息をついて天を仰ぐ。偽物の青空が天井に広がっていた。

「……お前は、本当にあの人間と生きていくつもりなのだな」
「『あの人間』ではありません。あいつは流拓馬です」

カムイはまっすぐに兄を見た。人間とハチュウ人類のハーフという生まれでなければ、ゲッターパイロットという立場がなければ、カムイは流拓馬と出会うことはなかっただろう。だが相手が人間だから惹かれたわけではない。カムイが選んだのは流拓馬ただ一人だ。種族も立場も関係なかった。ゴール三世とカムイがただの兄弟であるのと同じことだった。

それきり、二人とも黙り込んでしまった。王とその配下という立場であった時には、ここまで言葉に悩むことなどなかった。カムイがクーデターを起こした時も、それぞれに成すべきことと守るべきものがあった。だが今この時だけは、何の肩書もない、ただの兄と弟だ。普通の兄弟とはどんな会話をするのだろう。結婚することになった弟に、兄はなんという言葉を掛けるのが正解なのだろう。生まれてからこれまでずっと「立場」に縛られてきた彼らは、急に真っ平らな場所に放り出されて右往左往していた。

「…………」
兄は無言で椅子から立ち上がった。弟に「待っていろ」と目だけで制して温室から出ていく。二十分ほど経って、兄がやっと戻ってきた。その手には小さな正方形の箱が載せられている。ベロア調の上質な素材でできた箱だ。兄は黙ったままカムイの前にその箱を置いた。そしてまた目配せで「開けろ」と示す。訝りながらもカムイは箱の封を解き、瞠目した。
まるで蠍座のアンタレスのように赤い宝石がそこにあった。小指の先ほどに小さな石だが、自ら光を放っているかのように強く輝いている。

「兄上、これは……」
「独り言だが」
弟の言葉を遮るように、兄はことさら大きな声を上げた。
「海の底から宝物庫を丸ごと移動させてきたはいいが、そろそろ整理をせねばならんと思っていたところでな。それは深海の底の底でしか採れぬ石だ。希少すぎるあまりかえって値がつかん。価値のないものを置いていたところで意味はないし、知らぬ間に消えても誰も気に留めんだろう。我が帝国は国宝一つ失って揺らぐようなものでもない。……まあ、そういうことだ」
カムイはぽかんと口を開けて兄を見上げた。「そういうこと」とはどういうことですかと顔に書いてある。ゴール三世は今まで見たことのない弟の表情を目の当たりにして、お前はそんな顔もするのかという驚きと、笑い出したくなるような愉快な気持ちに包まれた。兄と弟の関係の正解など誰にも分かりはしないが、自分たちはこれでいいのだろうと思えたのだった。



「おー、おかえりカムイ。なんだそりゃ」
「兄上から頂いた。……餞別、のようなものだろうか」
「へえ……キレイだな。あれか、嫁入り道具的な?」
「馬鹿を言うな」

間髪入れずにカムイの肘が拓馬の脇腹を直撃した。拓馬が低い呻き声を上げてその場に蹲る。カムイはダンゴムシのように丸まった拓馬を冷たい目で一瞥してから、再び赤い宝石に視線を注いだ。深海の底で採れる石だと言うが、宇宙に輝く星のような煌めきも内包している。光に当たると炎の揺らめきのように輝く。赤く燃える蠍の火だ。
のそりと起き上がった拓馬が、カムイと赤い石を横目に見て鼻を鳴らした。

「兄貴の奴がいいセンスしてるのは認めるぜ。その石、お前の目によく似てる」

カムイは一瞬呼吸を止めた。ゆっくりと拓馬を見て、それからまた赤い石に目を落とす。確かめるように。
「……正気か?」
「おい!そのセリフ、俺にも兄貴にも失礼だろうが!」
拳を振り上げた拓馬から逃げるように、カムイは笑って駆け出した。小箱を大事に抱きかかえながら。






2022/06/19