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それも君が生きていくための選択(カムイとゴール三世)

※「これは君を取り戻すまでの道筋」から繋がっている




権力の転覆を謀った大罪人は今、光の差さない地下深くに幽閉されている。
火星の恐竜帝国領内でもひときわ警備が厳重な場所だ。そこに辿り着くには数十に及ぶ扉と警備システム、守りを固めた兵士たちの目をくぐり抜けなくてはならない。場所を特定するだけでも常人には不可能だが、ましてやその牢を突破するなど誰も考え付きはしないだろう。

幾重にも閉ざされた場所であるが故、自由に足を踏み入れられる者も限られている。その限られた権力者のひとり――恐竜帝国の帝王ゴール三世は、数名ばかりの護衛を連れて、暗く湿った通路を歩いていた。エレベーターすら整備されていない、本当の地の底だ。やがて目の前に黒い扉が現れた。

「ここからは私ひとりで行く。貴様らは下がっておれ」
「は……しかし陛下、護衛を付けぬのは危険すぎます」
「構わん。今のあやつにはわしを攻撃する力など残っておるまい。たまには兄弟水入らずで話をさせよ」

兄弟水入らず。あまりにも白々しい響きだった。側近の兵士が一瞬怯んだのが手に取るように分かった。誰も決して言葉には出さなかったが、あれを牢に入れた張本人がどの口で……などと思われているのだろう。ゴール三世は喉の奥でくぐもった笑い声を上げた。嘲笑とも自虐ともつかない笑いだった。
なおも食い下がろうとする部下に「くどい」と言い放ち、重く厚い扉に手を掛けた。

「久しいな、カムイ。拘束具の付け心地はどうだ?」
「…………」
「……ああ、すまなんだ。その状態では聞こえるものも聞こえんな」

カムイ・ショウ。反逆罪で捕らわれた大罪人にして、血を分け合った義弟。
その罪の重さに比例するように、彼は厳重すぎるほどの身体拘束を受けていた。四肢は完全に固定されて身動き一つ取れないようになっている。余計な情報を入れないために目と耳は覆われ、口も拘束具で塞がれている。ゴール三世が話しかけても反応がない。外界から完全に遮断された、完全な闇だ。彼には生存のための必要最低限な自由だけしか与えられていなかった。

ゴール三世が片手を上げると、それに呼応して拘束具が一斉に解かれた。カムイがその場にくずおれる。自力で立ち上がるのさえ難しいのだろう、床に身を投げ出したまま荒い息を繰り返していた。ゴール三世は、そんな義弟の様子を無感動に見下ろす。手を貸すでもなく、追い打ちをかけるわけでもない。

自分の置かれた状況を把握したらしいカムイは、緩慢な動作で首を持ち上げた。目が合う。酷くやつれてはいたが、視線の鋭さはクーデターを起こしたあの時と何も変わらないままだ。常人なら一週間で発狂するはずの環境だが、カムイはこの状態で三か月以上自分を保ち続けている。死にたがりのくせに生命力と精神力は誰よりも強い。見上げた根性だ、とゴール三世は口の中で笑いを噛み殺した。

「爽やかな目覚めとはいかないようだが」
「……陛下」
カムイの声は掠れていた。言葉を発したのも随分久しぶりなのだろう。血を吐くような声だった。

「反逆者とふたりきりになるとは、随分と警戒心が薄いと見えます」
「武器も持たず、蚤のような体力しか残っていないお前に何ができよう」
「……お言葉ですが、陛下。この状態であっても、私は素手であなたを縊り殺すことなど造作もありません。もちろん、護衛の者が私を射殺するより速く」

剣呑な光がカムイの目に宿る。――本気だ。カムイの眼光に気圧されて、ゴール三世は一歩後ずさった。
「な……き、きさま」
「……その気になればの話ですが」
カムイは急に関心を失くしたように視線を逸らした。ゴール三世は口をぱくぱくさせてカムイを凝視している。囚われているこの状況において、脅しをかけただと?不自由な環境に置かれたことの腹いせだとでも?よりによって、恐竜帝国の最高権力者相手にだ!

呆然と立ち尽くすゴール三世を横目に、カムイはゆっくりと膝をついて床の上で胡座をかいた。この短時間の間にも僅かながらに体力を回復させていたのだ。
「それで。陛下がここに来られたということは、私の処刑がようやく決まったのですか」
「……残念ながらそうではない」
カムイはあからさまに落胆した様子を見せた。厄介な死にたがりめ。ゴール三世は内心で毒づいた。

地球での戦いで敗北して以降、カムイは何かに付けて罰を受けたがっている。命乞いをする素振りは一切見せず、それどころか早く自分を処刑しろとばかりに露悪的な態度を取り続けていた。
恐竜帝国内では、クーデターを企てた謀反人は即刻処刑すべし、という意見が根強い。ゴール三世が帝王の特権を使って処刑を先送りにし続けていなければ、カムイはとうの昔に命を失っていただろう。

死にたがっているカムイと、処刑を望む国民。すぐにでも処刑してやった方が互いのためなのかもしれない。だがゴール三世は意地でも処刑を阻止しようとしていた。すべては「この義弟の思い通りに事が運ぶのは気に食わない」というくだらない理由からだ。

「では何故こちらに」
「最近、領内の周辺を嗅ぎ回っている虫ケラがいるようでな。どうやらお前の居場所を探しているらしい。この牢に留め置いていては、いずれ場所を突き止められるかもしれん。そこでお前の身柄を別の場所に移そうというのだ」
「……」

カムイは瞠目した。ゴール三世はもっともらしいことを言っているように聞こえるが、その実まったく理にかなっていない。
恐竜帝国内でここ以上に警備を固められる場所はないはずなのだ。まして、ゴール三世が告げた次の収監先は、帝国領内の端の端。監視の目も十分に行き届かないし、牢と言ってもこことは比べ物にならないほど粗末なものだろう。
――まるで、さあ脱獄してくださいと言わんばかりの環境。お膳立てが整いすぎている。
カムイは信じられないものを見るような目を義兄に向けた。驚愕、疑念、そして戸惑い。

「陛下、その虫ケラというのは、まさか」
「さあ?わしが知るわけがなかろう。お前を探し出そうなどという奇特な虫ケラなぞ」

あくまで知らぬ存ぜぬを貫くつもりらしいが、その演技があまりにも下手すぎて、カムイはただ俯くしかなかった。……馬鹿だ。大馬鹿者だ。誰も彼も。
「助けてくれなんて、一言も言ってない……」
カムイは震える手で顔を覆った。

――どうして、放っておいてくれないのだろう。
早く死んでしまった方が幸せだった。一生誰とも顔を合わせず、牢の中で生涯を終える方がよほど楽だった。罰を受けて肩の荷を下ろしたいと思った。しかしその逃避を許さない大馬鹿者たちがいる。何度振り払っても諦めず、繰り返し差し伸べてくる手がある。
生きる道へ。未来の方へ。

「お前が望もうが望むまいが関係ない。あやつらがお前を必要としている限り、な」
ゴール三世が手を挙げて合図をすると、兵たちが牢の中に入ってきた。項垂れるカムイの両脇を支えて歩かせる。すれ違いざま、カムイはゴール三世を呼び止めた。

「兄上」
それは、臣下としてではなく、たったひとりの弟としての呼び名だった。
「俺は、生きていてもいいのですか」
突然荒野に放り出された子犬のような目をしていた。どこに行けばいいのかも分からず、その場に立ち尽くすしかない。地図もなく方位磁針もなく、頭上に瞬く星だけが暗闇に浮かぶ。

「それを決めるのはわしではない。お前が見極めなくてはならんものだ、カムイ」

カムイは一瞬だけ顔を歪めると、俯いてその場を後にした。ゴール三世の目には、十数年前、初めて顔を合わせた時のカムイの面影が重なって見えた。あの頃とはふたりの立場も関係もまるで変わってしまった。だが変わらないものも確かにある。彼とカムイが、この世でふたりだけの兄弟だということ。

これが今生の別れになるかもしれない。だが彼は、カムイに温かい言葉を掛けてやることも、力の限り抱き締めてやることもしなかった。ただひっそりと手を放す。「情」と呼ぶには冷たく、しかし「枷」と呼ぶには柔らかい、あの日の小さな弟の手を。



「陛下!大変です、カムイ・ショウが脱獄しました!」
転がるように謁見の間に入ってきた兵士を、帝王は頬杖をつきながら見下ろした。

「逃げたか。どうやって?」
「そ……それが、外部の者の手引きがあったらしく……見張りの証言を照らし合わせると、特徴からしておそらく流拓馬と山岸獏によるものと思われます」
「案外時間がかかったな。あれだけお膳立てしてやったというのに、姿まで見られているとは……手際の悪い奴らめ」
「は……?陛下、それは一体どういう……」

恐竜帝国の兵士はわけがわからず目を白黒させた。反逆者の脱獄に対してゴール三世はまったく動じていない様子だった。それどころか関与を匂わせるような発言すらしている。兵士の顔に戸惑いの色がありありと浮かび上がる。しかし帝王の手前、真正面からその違和感を指摘するわけにもいかない。機嫌を損ねれば牢に入れられるのはこちらの方なのだ。
ゴール三世はフンと鼻を鳴らした。その唇は弧を描いている。

「逃げられたのなら仕方あるまい!カムイの処刑は無しだ、その代わり永久追放ということでよかろう!あやつに二度と恐竜帝国の土を踏ませるでないぞ!」
「はっ……はいっ!」

兵士は慌てて何度も頷いた。脱獄されたにも関わらず、帝王が何故か上機嫌でいるのも、永久追放という言葉の重さの割に言い方が軽やかすぎるのも、何もかも不可解だった。しがない一兵卒に帝王の心中を推し量ることなどできるはずもない。その不可解さの正体は、「兄」としての彼だけが知る秘密だ。






2022/02/21