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書いた小説の倉庫です

ガンバレ!カムイ 早乙女研究所食中毒事件、再び

早乙女研究所に未曾有の緊急事態が発生した。
集団食中毒により所員の約七割が倒れ、研究所がほぼ機能停止に追い込まれたのだ。

「こうなっては敵わん。政府には医療スタッフの増援を要請したが、到着はまだ数時間先だろう。カムイ、お前は倒れた者の看護に当たりつつ、緊急時に備えていつでも出撃できるよう準備しておけ」
「了解しました。神司令もどうかお大事に」
「フッ……甘く見るなよ。私を誰だと思っている」

カムイの目の前で神隼人は大仰に肩をすくませてみせた。この程度自分には何ともないというような振る舞いをしているが、脚が内股気味になっているのをカムイは見逃さなかった。それを指摘するのは隼人のプライドを傷つけることになりそうだったので、そっと胸の中にしまっておく。
隼人は内股気味のままで目を細めた。

「しかし懐かしいな……随分前にも似たようなことがあった。昔、研究所全体で食中毒が起こったんだが、その中でぴんぴんしてる奴が一人だけいてな」
「はあ」
「あの頃はみんな若かった。そうだ、あれはまだ十代の頃……」
「……すみませんが、その話長くなりそうですか」

隼人が語りモードに入ったのを察して、すかさず釘を刺した。今は呑気に昔話を聞いている場合ではないのだ。
「まあ聞け、この体験談が何かのヒントになるかもしれんだろう。とにかくあの時は、武蔵という奴だけが無事だったんだ。今のお前のようにな。そんな時に敵の襲撃を受けて――うっ!?」
話の途中で急に隼人が膝を折った。腹を抱えて青ざめた表情になる。どうやらまた「波」が来たらしい。「あとは任せたぞカムイ!」と言い残して、隼人は一目散にトイレへと駆け込んでいった。あまりにも情けないその背中を、カムイは複雑な表情で見送る。司令も人なのだと自分に言い聞かせるが、こんな形で彼の新しい一面を知りたくはなかったというのが本音だった。

 

研究所内には、倒れ伏した職員たちの呻き声が怨念のように響き渡っていた。
フロアに所狭しと並べられた簡易ベッドは、さながら野戦病院のような佇まいをしている。その一角に拓馬と獏が横たわるベッドがあった。

「お前たちも酷い有様だな。大丈夫か」
「これが大丈夫に見えるかっての……」
「悪いなカムイ、世話になるぜ……」
いつもの無駄な元気はどこに行ったのか。二人とも口は達者だが声に張りが感じられない。拓馬は布団を被ったまま、恨めしげにカムイを見上げる。

「なんでお前だけが何ともないんだよ。俺ら同じメシ食ってたはずだろ」
「軟弱なお前たちとは鍛え方が違うんだ」
「はは……そうかもな」

普段ならここで「あん?俺らがモヤシだって言いたいのかよ?」などと食ってかかってくるところだが、今日の拓馬は弱々しい声で薄笑いを浮かべるだけだった。具合が悪いのは本当らしい。これでは調子が狂う。カムイは眉根を寄せて拓馬を見下ろした。

「鍛え方というより、体のつくりの問題だろうな。ともかくお前だけでも無事でよかった」

獏が力なく笑った。集団食中毒が発生した原因はまだ特定されていないが、食堂で出されたランチメニューに何かがあったのは間違いない。昼食に食堂を利用した者が軒並み倒れ伏したからだ。無事だったのは、外出中だったり時間が合わなかったりして食堂を利用しなかった者たちと、食堂を利用したにも関わらず平気な顔をしているカムイだ。
獏の言うように、カムイが無事だったのは、おそらく彼が異なる種族の血を引いているためなのだろう。食べ物の消化のされ方も普通の人間とは違う。屈強な拓馬と獏ですら倒れ伏すことになっても、カムイにだけは効かなかったのだ。

しかし、パイロットの中でカムイだけが唯一が無事だったということは、残りの負担がすべて彼に集中するということでもある。倒れた患者の面倒を見るために、医療スタッフだけでなく、食中毒を免れた一般職員もそこに加わった。当の医療スタッフ自身も患者になってしまっているのだ。圧倒的に人手が足りない状況で、カムイまでもが駆り出される羽目となった。

「カムイ!あんたは倉庫からこれとこれとこれの新しいパック持ってきて!ほら走る!」
「は、はい」

殺気立った医療スタッフにどやされながら、カムイは次から次へと指示される仕事をこなしていった。
今回の食中毒の症状は大きく分けて二パターンあった。ひとつは隼人のように下痢を起こす例と、もうひとつは拓馬や獏のように発熱する例だ。カムイは発熱した患者の看護に当たることになった。点滴の準備をし、温くなった氷嚢を取り替え、額に浮かぶ汗を拭いてやる。それが一人や二人ならまだしも、数十人単位の面倒を見なくてはならないのだ。目が回るような忙しさだった。

「なあカムイ~……」
布団を被ってうんうん唸っていた拓馬がカムイの名前を呼んだ。カムイは忙しさで苛立ちが募っていたが、患者に呼び止められたら対応しなくてはならない。渋々作業の手を止めて拓馬の枕元に立つ。

「どうした」
「腹減った……」
拓馬はしょぼしょぼした顔でそう言った。この期に及んでまだ食欲があるとは。逆に驚嘆に値する。

「固形物を食べるとまた下から出るぞ。我慢しておけ」
「でもよお……せめてお粥が食いて~い……」

贅沢な奴め。こんな我侭に付き合ってやる暇はない。カムイはそう思ってベッドから離れようとした。しかし拓馬の手が布団の下から伸びてきて、カムイの服の裾を掴んだ。

「だってさあ……俺が風邪ひいた時はいつも作ってくれただろ……溶き卵が入ってる、あったかいやつ……なあ、頼むよお、母ちゃん……」
「…………」

拓馬は、目を閉じたままうわ言を繰り返した。半分意識がないのだろう。目蓋の裏では昔の夢でも見ているのかもしれない。
俺はお前の「母ちゃん」ではない、と言おうとして、やめた。拓馬の震える声がひどく頼りなさげで、今にも泣きそうだったからだ。風邪をひいて心細くなっている子供のように。服の裾を掴んでくる力は弱々しく、その気になればすぐに振り払うこともできた。だがカムイにはそれができなかった。

拓馬の隣で、獏がカムイに向かって目配せをした。カムイは無言で溜息をついた。

 

「どうして俺がこんなことを……」

ぶつくさと独り言を言いながら、カムイは研究所内の調理スペースで鍋とにらめっこをしている。
元から料理の経験に乏しいのだ、ましてやお粥など作ったこともない。手元の端末に「お粥 卵 レシピ 胃に優しい」と打ち込んで、一番上に出てきたレシピを選んだ。そこに書かれた通りの手順を踏めばおそらく失敗はないだろう。おそらく、だが。

中火とはどの程度の火加減なんだとレシピに文句を言ったり、「塩ひとつまみ」と言うが人によって「ひとつまみ」に差がありすぎるだろう、この「ひとつまみ」で本当にいいのか?お願いだからグラム単位で表記してくれとキレかかったりもしたが、試行錯誤の末に何とかそれらしき物体を生成することができた。

ほかほかと湯気を立てる、それ。一般的に「卵粥」と呼ばれる何か。
味付けはレシピ通りにしたが、味見をしても何が正解なのかまるで分からないので参考にならない。少なくともカムイ自身の舌は「まずくはない」と判定したが、リクエストした拓馬がどう感じるかは本人次第だ。

「作ったぞ。ありがたく食え」
お手製の卵粥を差し出すと、拓馬は体を起こしてぱちぱちと目を瞬かせた。

「え、何?」
「お前が食べたいと言ったんだろうが」
「言った覚えねえけど……」
「なら要らないんだな」
「いや要る!めちゃくちゃ要る!」

カムイの手からひったくるようにして、拓馬は卵粥の器を奪い取った。卵粥をリクエストした記憶は、意識朦朧としていたせいでいまいち覚えていないようだが、それを食べたいという感覚はしっかり体に染み付いていたらしい。熱さに舌を火傷しながら食べる拓馬は、心なしか嬉しそうな表情をしている。どうやら失敗ではなかったようだ。カムイは心の中でほっと一息をついた。

――その時だ。

『緊急連絡!研究所上空に時空の歪みを確認!アンドロメダ流国です!』

けたたましいサイレン音がフロアに響いた。患者の看護に当たっていた職員の目が軍人の目に変わる。カムイもまた同様に目を光らせた。
『迎撃態勢用意!動ける職員は配置についてください!』
そのアナウンスを待たずに、カムイは駆け出していた。

出撃の許可を得るために司令室を訪れたものの、隼人の姿はそこにはなかった。案の定神隼人はトイレの個室に篭もっていた。
「やはり敵が来たな。カムイ、一人で出撃できるか」
「無論です。……それより、神司令こそ大丈夫ですか?」
「もう駄目かもしれん……後は任せたぞ、カムイ……」
らしくなく弱気である。鬼のような神隼人も食中毒には為すすべもなかった。この状態では司令室で指示を出すこともままならないだろう。自分一人で対処するしかない。カムイは覚悟を決めて格納庫へ向かった。

「こちらカムイ、出撃の準備は整っている!キリクは行けるか!」
『はいっ!人手不足で、本来の担当者はいないのですが……なんとかいけそうです!ただ、アークとカーンの自動操縦システムがうまく作動しなくて……』
「問題ない。残り二機の誘導操縦はすべて俺が行う。――出るぞ!」

オペレーターの声も聞き慣れない声だった。いつもの担当者は食中毒で不在なのだろう。動ける職員が総出でなんとかしている状況だ、普段通りの出撃ができないのは織り込み済みだった。
カムイは拓馬と獏の分まで機体の操縦を行い、空に飛び立った。研究所の上空では既にアンドロメダ流国の尖兵が出現し始めていた。時空の歪みを通り、次から次へと蟲がなだれこんでくる。司令塔と思わしき敵が高らかに名乗りを上げた。

「ハハハ!わけは知らんが、研究所は万全の体制ではないようだな!今こそ好機!人間どもよ、我らアンドロメダ流国が貴様らを滅ぼしてくれるわ!」
「そうはさせるか!」

カムイはキリクを駆って対峙する。腕のドリルを構えると、迷うことなく敵の軍勢に突っ込んでいった。貫いては捨て、貫いては捨てを繰り返す。単騎の強さは確実にキリクが上だ。しかし相手は際限なく兵を送り出してくる。
パイロットが三人揃わぬゲッターなど恐るるに足らず!圧倒的物量で押し潰してくれるわ!」
その言葉に違わず、敵は物量作戦で徐々にキリクを押していった。数の上ではどうしても不利だった。戦闘の合間を縫って、カムイはオペレーターに怒鳴る。

「おい!キリクだけでは手が足りない!研究所のミサイル迎撃システムは動かせるか!?」
『そ……それが、こちらのシステムも担当者が不在で……』
「敷島博士がいるだろう!あの人が食中毒になるはずはあるまい!」
『博士自身はお元気なのですが、今は新しい兵器の開発が佳境だということで、研究室に篭もっておられます!無理に連れ出そうとすれば我々の命がありません!』
「こういう時に限ってあの爺さんは……!」

カムイは盛大に舌打ちをした。こうしている間にも、キリクが撃ち漏らした敵が研究所に攻撃を仕掛けようとしていた。事態は一刻を争う。
『カムイ、緊急事態だ!』
そこに直通の無線で通信が繋がった。相手は隼人だ。
「神司令!?どうされましたか、まさか研究所内に敵が!?」
隼人の声は切羽詰まっていた。もうそこまで来ているのかとカムイの心中に焦りが生まれる。――が、しかし。

『頼む。今すぐトイレットペーパーを持ってきてくれ』
「そういうことは近くの職員にでも言ってください!!!!」

カムイの口から、今日一番の大きい声が出た。くだらないことに直通の無線を使ってくる神隼人への苛立ちと怒りが爆発した。神司令はこの状況をちゃんと分かっているのか?分かっていてこの態度なのか?俺を試しているとでも?隼人にとっては一大事なのだろうが今はそれどころではない。
カムイが唇をひくひくさせていると、そこへ更なる通信が入ってきた。拓馬の声だ。

『なあカムイ~~~!!』
「今度は拓馬か!何の用だ!」
『お粥食ったら余計に腹減っちまったよお~!ハンバーグが食いて~~~い!!』
「お前の胃は馬鹿なのか!?大人しく寝てろ!!」

あまりにもくだらなくて怒りしか湧いてこない。戦闘に集中したいのに、どいつもこいつもカムイの邪魔ばかりしてくる。この出撃で大事なキリクの機体が数箇所被弾した。どう考えても、余計な通信を入れてきた馬鹿のせいだ。溢れ出る苛立ちに手が震える。

「フハハハハ!!どうした、動きが鈍いぞゲッター!このままトドメを刺してくれる!」

アンドロメダ流国の兵は、ここぞとばかりに意気揚々とカムイに向かってくる。こちらの事情などお構いなしだ。敵なのだから当たり前だが、カムイにとっては理不尽以外の何物でもなかった。なんなんだ貴様ら、俺の気も知らないで。――そこでカムイの我慢は限界に達した。

「俺の仕事を増やすな、この蟲どもがァーーーーーーッッッッ!!!!!!」
「ぎゃあああーーーッ!?!?」

完全にキレたカムイは、絶叫と共にアークへ変形し、サンダーボンバーを撃った。そのエネルギーの出力は凄まじく、敵兵はみるみるうちに消し炭になっていった。キレたカムイの爆発力は誰にも止められない。研究所のオペレーターも口をあんぐり開けてその様子を見守るしかなかった。



「いやあ~、一時はどうなることかと思ったが、おかげさまで完全復活!サイコーの気分だぜ!」

生き生きとした顔で拓馬が笑う。その横で獏が申し訳無さそうな顔をしている。
あの後、政府から派遣された医療スタッフが研究所に到着し、混乱の極みにあった現場もなんとか落ち着きを取り戻した。食中毒の患者たちが徐々に回復していく中で、拓馬は一番乗りとばかりに元気を取り戻した。今は他のスタッフの手伝いやら何やらで走り回っている。昨日まであれほど弱々しい声を発していたとは思えないほどの馬鹿元気だった。

「それはよかったな……」
カムイは拓馬と獏を前にしてげんなりと重い溜息を吐いた。疲労困憊だった。残っていた元気を拓馬に全部吸い取られたのではないかと思うほど。
しかしこれで終わりではない。未だにトイレから離れられない隼人の代わりに諸々の業務をこなさねばならないし、先の戦闘の報告書作成もまだだ。カムイは司令室に行くために背を向けた――が。

ぐわんと視界が一回転する。あれ、と思った時には床に頭を打ち付けていた。
「ちょ……カムイ!?カムイ~~ッ!!」
拓馬と獏が何度も名前を呼ぶ。その声を聞きながら、カムイの意識は闇の中へと消えていった。

極度の疲労で倒れたカムイを、今度は拓馬と獏が介抱することになるのだが、それはまた別の話だ。

 


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2022/02/19