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夜は眠れるかい?(チェンゲ/竜號)

※竜馬とゴウくんは同じベッドで寝る中だがまだ付き合ってはいない


その監獄は絶海の孤島にあった。一度足を踏み入れたなら二度と戻れないとさえ言われている。世界から忘れ去られた場所。切り離された蜥蜴の尻尾の成れの果て。生きることも死ぬことも許されない罪人の命が、自然に任せて朽ちていくのを監視するためだけに作られた。
監獄に窓はない。夜空に瞬く星に希望を見出すことがないように。光の差し込まない牢には暗闇だけが在った。囚人は暗闇の中でただ己の罪に向き合い続けなければならない。

流竜馬も、暗闇の中で息を潜める囚人の一人だった。ただし彼は被せられた罪を認めていなかった。あの男を殺したのは自分ではない。だが自分以外の人間は、あれはお前がやったのだ、あれはお前の罪なのだと言う。彼の無実を信じてくれるのは自分自身だけだった。

「なんだいお前さん、この期に及んでまだ自分が無実だと思ってるのかい」

嘲るような笑い声が暗闇に反響した。隣の牢にいる老人の声だった。老人だというのは竜馬がその声から思い描いた想像に過ぎない。なにせ暗闇の中なので顔を一度も見たことがないのだ。嗄れた声から老人だと思っているが、本当はもっと若いのかもしれない。

「本当のところがどうだろうと、世間がお前さんを罪人だと言うんならそれがいっとう正しいのさ。お前さんはその正しさに負けたんだ。俺と同じでね」
「……一緒にするな。あんたは救いようのない人殺しだろ」
「一緒だよ。仲良く隣の牢にぶち込まれてるって点ではさァ」

げらげらと意地の悪い笑い声を上げた。こうして囚人と話をするのが彼の唯一と言っていい生き甲斐なのだった。頼んでもいないのに話しかけてきて、聞いてもいないのに己の身の上話を聞かせてくる。
老人は三度の殺人を犯したのだという。一度目は金銭トラブルで相手を刺し殺し、二度目は行きずりの女の首を絞め、三度目は「殺したいから」という理由で無差別に殺しをした。一度目と二度目は地上の刑務所で服役していたが、三度目でとうとうこの監獄に送られた。聞いた限りではすべて身から出た錆としか思えなかった。だが老人は「仕方なかったんだ」と繰り返す。

「ぜーんぶ殺さなきゃいけねえ理由があったんだ。なのに世間は人を殺しちゃいけねえって言うからよお、こんな真っ暗闇に放り込まれちまった」
この話を聞くのは何度目か。もう相槌を打ってやる気にもならない。
「なあお前さん、自分は関係ねえとか思ってるのか?そりゃあ大間違いだ。お前さんがここにいるってことはそれなりの理由があるんだよ。本当に無実の人間がここに来るはずないんだ。自分でも心当たりがあるんだろう?まともに眠れてなさそうなのが何よりの証拠だぜ」
眠れていないと言われて心臓が跳ねた。人殺しの屑の言うことを真に受けてはいけないと分かっている。だが図星を突かれて動揺せずにはいられなかった。

――夢を見るのだ。人が死ぬ夢。何度も何度も。

自分が殺したわけではない。だがそれは、自分が直接手を下さなかったというだけだ。死なせたのは、その原因を作ったのは、自分なのかもしれない。
その小さな隙間に罪悪感が根を張って、夜な夜な悪夢を見せてくる。悲鳴。断末魔。最期に呼ばれたのは自分の名前だった。お前のせいだとあいつが言う。あなたのせいだと彼女が言う。お前さえいなければと世界が責める。……どうか、どうか、許してくれ。
叫びながら飛び起きて、それが夢だと気付いて安心する。心臓は早鐘を打ち、全身にびっしょりを汗をかいていた。夢を見る時はそんな情けない姿を晒すのが常だった。目覚めたところで暗闇しかない。

眠るも地獄、眠らぬも地獄だ。しかし悪夢に苛まれるよりはいくらかましだと思えたから、暗闇の中で眠らずに夜を過ごしている。こうして人の魂は腐敗していくのか。

「こんな真っ暗闇の中じゃあ眠るくらいしかやることがないってのに、それすら満足にできないなんてねえ。かわいそうもんだよ」

老人の言葉からは、嘘偽りのない憐憫が滲み出ていた。こんな人殺しに心の底から同情されて惨めさすら覚えた。
この暗闇に果てはなく、目を閉じても悪夢が待っている。穏やかな眠りはきっと死ぬまで訪れない。死ぬことさえ許されない自分は、これからもずっと夜に嫌われたままだ。



目を開けた先に見えたものはやはり闇だったが、つい先程まで見ていた暗闇とは全く違うものだった。
はっと息を呑む。激しく脈打つ心臓が左胸にあることを確認する。全身に汗をかいていた。唇が震え、指先がひどく冷えていることに気付く。
夢を見ていたのか。しかも、夢の中で更に夢を見ていた。悪夢を。

暗がりの中、視線だけで辺りを見回す。脱いだまま放り出した服、深夜三時を示す時計、散らかった自分の部屋。見慣れた風景にひどく安堵する。震える指先で口元を覆って、細く長く息を吐いた。
――大丈夫だ、ここはあの監獄じゃない。
何度も自分に言い聞かせたが、それでも目蓋の裏にこびりつく暗闇は消えない。心臓の音がうるさい。指先もまだ震えている。どうにかしてその感覚を振り払おうとして寝返りを打った。
その先に、ゴウの瞳があった。

「……っ!?」
悲鳴を上げて仰け反りそうになるのを理性で押しとどめる。あまりにも静かな夜だったから、そこにゴウがいるのを忘れていた。そういえば同じベッドで寝ていたのだった。
「竜馬」
小さな声が竜馬の名を呼んだ。確かめるように。静かな双眸が竜馬をじっと見つめている。

「大丈夫か」
「……な、なにが」
「苦しそうだった」

ゴウが目を伏せる。その白い顔は暗闇の中でぼんやりと浮かび上がるようだった。睫毛の本数を数えられそうなほど近くに互いの顔がある。ゴウの瞳は普段と変わらず冴え冴えとしていた。寝起きとはとても思えなかった。……いや、そもそも眠ってさえいないのか。ゴウが人と同じように睡眠を必要とするのか、それとも必要ないのかを竜馬は知らなかった。人の真似事をして目を閉じていただけなのかもしれない。

「気付いてたのか」
「起こすかどうか考えているうちに、竜馬が自分から起きたんだ。……もっと早く声をかけるべきだった」

心配、してくれていたらしい。遠慮がちに上目遣いで見上げられて、何もかもどうでもよくなりそうだった。悪夢を見ていたことすら。
今すぐ抱き締めてやりたい気持ちをぐっと堪え、布団の中でゴウに向き直る。竜馬の方が体が大きいため、布団が竜馬の肩に引っかかって二人の間に隙間ができる。その隙間を埋めるように、ゴウが自分からぴったりとくっついてきた。竜馬の胸のあたりにゴウの頭がある。目覚めた直後とは違う意味で心臓が跳ねた。

「お、おい」
「眠れないのは、つらいだろう」
「夢見が悪いのは元からだ。お前が気にすることじゃねえよ」
「それでも。俺にできることがあるなら、言ってくれ。自分ではどうすればいいのか分からないから」

吐息混じりの、囁くような声だった。形の良いつむじを見下ろしていたら、顔を上げたゴウを目が合った。透き通った、まっすぐすぎる目。何もかも見透かされてしまいそうになる。その目と言葉に引っ張り上げられるようにして、竜馬の喉の奥から声が漏れる。

「……手、を」
――手を握っていてくれないか。

言いかけて、やめた。あまりにも幼稚すぎる頼みだと思ってしまったからだ。
眠りに落ちるまで手を握って安心させてほしい。そしてできるなら、眠った後も。目覚めた時に、自分以外の誰かが隣にいることを確かめたい。そんな子供じみた願いを、子供であるゴウに押し付ける歪さに躊躇いを覚えたのだった。同時に、何を今更とも思う。この期に及んでそんなことに臆するのも滑稽な話だ。これまでだって散々都合のいい願いを押し付けてきたというのに。

躊躇いで呑み込んだ言葉の続きを、ゴウは待たなかった。布団の中で竜馬の手を探り当て、ぎゅっと握った。
「こうか」
「………………」
「竜馬の手は、冷たいな」

何も言えないでいる竜馬の代わりに、ゴウは指と指を絡ませて小さく笑った。今度こそ本当に何もかもどうでもよかった。この少年が人とは違う理で生きる存在だということも、罪悪感が生んだ躊躇いも。ゴウが手を繋いで体温を分け与えようとしてくれている、ただそれだけのことですべてが許されたように思えた。強張り、冷え切っていた指先が柔らかく解ける。
竜馬は暗闇の中でゴウの髪に顔を埋めた。くしゃくしゃに歪んだ表情を隠すように。暗闇を恐れ続けていた彼は、生まれて始めてここが暗闇の中でよかったと思った。

 

悲惨な過去は変わらない。深く抉られた傷跡も消えない。監獄の記憶は一生精神を苛み続け、悪夢を見て飛び起きる夜は途切れることなく続くだろう。――それでも今は、この体温が掌の中にある。
眠りを誘うように全身を巡るぬくもり。脈動と呼吸がゆるやかに溶け合い、一定のリズムを刻む。目蓋が徐々に重たくなっていく。
悪夢に怯える夜や、眠れずに焦燥する夜があってもいい。微睡みに身を委ねられる夜がこうして存在してくれるなら。

ゴウの鼓動に耳を傾けている間に、竜馬は重力に抗えず目を閉じた。
終わりの見えない暗闇は、朝を待つ薄明に変わっていく。

 


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2022/02/11

BGM:夜は眠れるかい?flumpool

「誰かこの手掴んでくれよ 見えない明日は来なくていい 今はただ眠りたい」

 


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