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やがては枯れて朽ちるもの(竜號)

※死ネタ ゴウくんに寿命が来てしまう話




ゴウが倒れた。何の前触れもなくその場に崩れ落ち、目を閉じたまま人形のように動かなくなった。かろうじて息も脈もあったが意識はない。丸三日間こんこんと眠り続けた。四日目の朝、彼は静かに目覚めた。そして透き通るような声で言ったのだ。
「きっと、俺の命はもうじき終わる」
静かに目を伏せた。冷たい空気が肌を刺す冬の日のことだった。



「あいつが死ぬってどういうことだよ!」
部屋の中に竜馬の怒号が響き渡った。真正面で相対する隼人は眉一つ動かさない。きつく握り締められた竜馬の拳を無表情で見下ろしている。
「だから何度も言っているだろう。寿命だ」
「おかしいだろ!まだあんなに若えのに寿命だと!?わけが分からねえ!」
説明のために持ち出した端末は既に竜馬の手で床に叩き落されていた。仕方なしに紙の資料を渡そうとしても竜馬は一切目を通そうとしない。まるで子供の癇癪だ。現実を突き付けられることを尽く拒んでいる。竜馬の怒りの裏側には恐れと怯えが隠れていた。

隼人は口を開いた。何度も何度も言い聞かせてきた言葉を繰り返す。
「真ドラゴン内部で仮死状態で眠り続けていた十三年分を除けば、生まれてから今までで二年。これでも長く保った方だろう。当初の計画からすると十分すぎるほどだ」
二年。それがあの少年の生きた時間のすべてだった。
「……ゴウは真ドラゴンの起動キーとして生まれた。飛び抜けた身体能力、高度に発達した脳――真ドラゴンの力を百パーセント振るうためだけに最適化された命だ。もとより長く生きられるような設計にはなっていない。役目を果たせば命も終わる」
そのように作ったのは隼人だ。真ドラゴンが無事に起動するなら、インベーダーを殲滅することができるなら、倫理など些末な問題だった。それでも生み出した命に最後まで責任を持とうとは思っていた。だからこうして何度も説明している。たとえ一生許されなくとも。

淡々とした隼人の態度は、竜馬にとって神経を逆撫でするものにしかならなかった。
「最適化だの、設計だの……なんなんだよ!まるであいつをモノみたいに言うんじゃねえ!あいつはちゃんと生きてる、機械でも人形でもねえ人間だ!」
「ああ。俺も、博士たちも、それに気付くのが遅すぎたんだ。……いや、二年も生きてしまったから、気付かされたというべきか」

すぐに消える命だったなら、ここまで躊躇いを覚えずに済んだだろう。大切な「鍵」として、替えのきかない「駒」として、丁重に葬ってやるだけだったはずだ。だが少年は想定よりも長く生きすぎてしまった。過去の記憶から心を学び、人々との交流を通して生き方を覚え、喜びや悲しみという感情の機微を知った。作られた命が、誰よりも優しい心を得た。その少年はただの鍵でも駒でもなく、同様に機械でも人形でもない。人間だった。体のつくりと生まれた経緯が「普通」とはほんの少し違うだけの、人間。
誤算だったのだ。そんな当たり前のことに気付かされてしまうなど。二年という歳月、戦いを終えて取り戻した平穏な日々は、命の質感を鮮明にさせていった。

しかし今更後悔してみたところで何もかもが手遅れだった。早乙女博士も、敷島博士も、もうこの世にいない。終わるはずの命を永らえさせるためには知識も技術も圧倒的に不足していた。あと十年、いやあと五年もあれば研究は進み、延命も叶うかもしれない。だがその数年を待つだけの時間は少年に残されていなかった。

「ふざけんな!」
竜馬の怒りが爆発した。限界まで握り締められた拳が唸りを上げて隼人の頬に叩きつけられた。鈍い音。一切の抵抗を放棄した隼人は勢いよく吹き飛んだ。体が机にぶつかって大きな音を立てる。机の上の物がぐしゃぐしゃに散らばった。隼人は緩慢な動作で上体を起こすが、床に座り込んだままその場を動かない。肩で息をする竜馬の息遣いだけが聞こえる。
隼人を殴ったところでどうにもならないことくらい分かっていた。迸る怒りと、失うことへの恐怖と焦り、そして滲み出てくるような悲しみ。行き場をなくした感情を拳に込めることしかできなかった。
隼人は、竜馬の拳がゆっくりと解かれていくのを黙って見つめていた。

「…………すまない」
「それは俺に言うことじゃねえだろ……」

少年は隼人の後悔や謝罪を受け入れることはない。これがさだめだと、頭を下げる必要などないのだと言って微笑む。少年の優しさは、謝ることさえ許してくれない。感情の行き場をなくしたのは隼人も同じだった。だから隼人は竜馬の拳をあえて受け、少年の代わりに竜馬へその言葉を向けたのだ。できることは、何もない。



その病室はいつも花の香りが漂っていた。竜馬が毎日花を手土産にして病室を訪れるからだ。
季節は冬。この時期に咲いている花などそう簡単に見つけられないだろうに、竜馬が持ってくる花は毎回種類が異なっていた。時には各地を飛び回って花を探すだけで一日を終えることもあるという。そんな時間の使い方でいいのかと訊いたら、竜馬は「俺がそうしたいから」と目を細めて言った。幸せそうな、充足感のある目をしていた。今の竜馬には、少年のために何かをするということ自体が喜びであり生きる目的なのだという。

鉢植えには水をやり、切り花は水を入れ替え、萎れたものは丁寧に取り除く。竜馬が甲斐甲斐しく世話をするので病室には花の香りが絶えない。丁寧な手入れと冬の気温の低さもあって、花々は思ったよりも長く美しい姿を保ち続けていた。日々増えていく花を見て、見舞いに来た弁慶が「花屋でも開くつもりか?」と笑ったのは一昨日のことだ。

少年はベッドのすぐ脇に置いてある花瓶に目をやった。紫色をした、薄い花弁をもつ花だ。確か名前を教えてもらったのに、まるで頭の中に霞がかかったように思い出せない。ここのところ、何かを思い出そうとするといつもこうだった。
仕方なく、枕元の植物図鑑に手を伸ばした。随分前に廃図書館で貰ってきたその本は、何度も読み込んだせいでくたびれていた。内容は全部丸暗記したはずだったが、その記憶はいつの間にかぽろぽろと零れ落ちて見る影もない。紙をめくって花の名前を探そうとする。だが、冬の花のページに辿り着いた時、図鑑が膝の上から滑り落ちてしまった。床に落ちた図鑑は、ぱらぱらと音を立てて見当違いのページを開いた。ちがう、そこじゃない、と手を伸ばそうとするが、ベッドの上からではどうしても届かなかった。

細く息を吸って、吐く。手が届く範囲までが彼の生きる場所だった。そこから先へはもう、自分の力だけでは行けない。

「悪い、遅くなったな、ゴウ。今日はとびきり綺麗な――どうした?」

病室に入ってきた竜馬が、少年の顔を見るなり首を傾げた。その視線を目で追い、床に落ちた図鑑を見とめて「ああ」と声を上げる。軽い動作で本を拾い上げると、少年の枕元に置き直してやる。
「この花の名前を……調べようと思ったんだ」
「それはクリスマスローズ。で、こっちがラナンキュラスだ」
言いながら、竜馬は手に持った花束を少年の膝の上に乗せた。淡いオレンジ色の花びらが幾重にも重なっている。華やかでありながら、紙細工のような繊細さも持ち合わせた花だった。

ラナンキュラス
忘れまいと少年が声に出して呟くと、竜馬は笑って頷いた。
「本来の開花時期はもう少し先らしいんだけどな。ちょうど早咲きのやつを見つけたから、お前に見せてやろうと思って。綺麗だろ」
「……ああ。きれいだ」
少年が花に顔をうずめると、竜馬は満足げに目を細めた。
「そいつをくれた爺さんの話ではな、あとひと月もすれば、爺さんの家の周りがラナンキュラスでいっぱいになるんだとさ。早春に咲くから、春を告げる花って呼ばれてるらしい。色もオレンジだけじゃねえんだ。ピンクとか黄色とか白とか、とにかくいろんな色があってそれはもう綺麗だって話だぜ。で、春になったら見に来いって言われたんだ。だからお前も一緒に……」
それきり、竜馬の言葉は途絶えてしまった。目の前にいる少年が、ひどく悲しげな顔をしていたからだ。澄んだ冬の光が少年の睫毛に影を落とす。竜馬は呼吸を止めてその顔を見つめることしかできなかった。

「……すまない。約束は、できない」

いつからだろう。少年は、起きている時間よりも寝ている時間の方が長くなった。自力で歩くことができなくなって久しい。起きている時でも、窓の向こうを眺めてぼんやりしているばかりだ。遠くから話しかけても返事がない。肩に触れながら声を掛けて、やっと存在を認識される。竜馬のことは気配だけで分かるようだったが、それ以外の人間に対しては反応が著しく鈍くなっていた。

竜馬が持ってくる花に対してもそうだ。顔に近づけてやらないと色も香りもうまく区別が付かない。これだけ部屋中に香りが充満していても顔色ひとつ変えないのは、ただ香りが分からないだけだ。花の名前を教えても次の日には忘れている。
筋力が落ちているだけではない、脳の機能も、五感も、日を追うごとに衰え始めている。まるで切り花が萎びていくように。どれだけ水を替え、丁寧に世話をしてやっても、鋏で切り取られた命は長くは保たない。
分かっている。分かっているのに、受け入れられない。

「どうしてだよ……」
竜馬が震える声で呟いた。細くなった少年の手を両手で握る。ラナンキュラスの花束が、少年の膝の上でかさりと音を立てた。

「図鑑に載ってる花、全部見てみたいって言ったのはお前だろ? まだ何百ページも残ってるじゃねえか。季節だって二回りしかしてない。……なあ、春になったら一気に花が咲くんだ。今よりずっとたくさん、お前の知らない花だっていくらでもある。図鑑なんてほんの一部だ。何十年かけても探し尽くせないくらい、この地球には花が咲いてる。全部見るんだろ? これから一緒に、世界中回って……なあ、そうだろ……」

嗚咽混じりの声は途切れ途切れになり、それ以上意味のある言葉を紡げなかった。竜馬は少年の手に縋り付いて肩を震わせた。あたたかい雫が、冷え切った手を濡らしていく。どれだけ溢れようとも、皮膚を滑り落ちていくその涙がぬくもりを分け与えてやることはできない。命の温度は残酷なまでに分け隔てられている。春を待たずに少年はこの世界からいなくなるのだ。

――嘘でもいい。気休めでもいい。死なないと、言ってくれ。

少年はその誠実さゆえに、決して頷いてはくれないだろう。それが分かっているから、願いは形にならずに溶けていった。色とりどりの花が咲く病室で、ひとつの命だけが褪せていく。




next→いつか芽吹いて花になれ




2022/05/05

BGM:テロメアの産声/Heavenz feat. 初音ミク

「あの子が願った落ちる葉も
空気が走った切り音も
食べかけて溶けるアイスも
留められない」


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