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書いた小説の倉庫です

たむけの造花(竜號)

※月面デートする竜號



月へ行きたいと言ったら、竜馬は僅かに眉をひそめた。
「月?……あそこは戦場だった場所だ、ろくなもんじゃねえぞ。観光気分ならやめとけ」
「知っている。それでも行きたい。連れて行ってくれ、竜馬」
「どうしてそこまで行きたいんだ?あの戦争、お前には直接関係ないだろ」

理由を問われて、ゴウは口を閉じた。いつもなら、ゴウの願いであれば竜馬は大抵どんなことでも聞き入れてくれる。どこに行きたいだとか、何を見たいだとか。理由など訊かれたこともなかった。けれど今回だけは違った。「月」という単語を出した瞬間に竜馬の表情が曇ったのを、ゴウは見逃していない。
頭の中に浮かぶ言葉をひとつひとつ選り分けて、ゴウは再び口を開いた。
「知りたいからだ。過去に何があったのかを、直接この目で見てみたい」
まっすぐに見つめる。しかし竜馬はついと視線を逸らした。
「……わかった。まあ、俺もあっちでやり残した用事があるしな」



月面基地は思った以上に綺麗に整備されていた。竜馬を除けば、十五年以上誰も訪れていないという話だったが、施設内は特に荒れたり朽ちたりしている様子もない。かつての月面戦争ではここが連合軍の前線基地だったという。長く続く廊下は、二人だけで歩くには広すぎる。
きょろきょろと辺りを見回しながら歩くゴウと、その半歩前を行く竜馬。しばらく歩いていると、二人のもとへ一台のロボットが近付いてきた。ゴウの腰ほどの高さしかなく、無機質だが丸みを帯びた可愛らしいフォルムだ。ゴウは好奇心からそのロボットに触れようとする、が。

『これは流竜馬様、お久しぶりでございます。お連れ様もおいでですね。本日はどのような御用で?』
ロボットは男性の声を模した合成音声で滑らかに喋った。ゴウは驚いて竜馬の背中に隠れる。その反応に竜馬は小さく笑った。

「おう、久しぶりだなコンシェルジュ。お前もちゃんと動いてるようで安心したぜ。……ゴウ、こいつはここの管理をしてるロボットだ。そんな怖がることねえよ」
「怖がっているわけでは……」
『ゴウ様、ごきげんよう。ようこそ連合軍月面基地へ。わたくしはこちらの管理及び整備を任されております、自律型管理AIです。どうぞお気軽にコンシェルジュとお呼びください』
「……ご、ごきげんよう……」

たどたどしい言い方でゴウが挨拶を返すと、コンシェルジュはピコンという機械音を上げた。おそらく歓迎や喜びの表現だろう。月面基地に来たばかりの頃、かつての自分もゴウと同じような反応をしていたことを思い出して、竜馬は懐かしさを感じてまた笑った。



「そういや、ここに来たのは俺がゲッター線に吹っ飛ばされた時以来だな。基地は変わりなかったか?」
『変わりましたとも。月面に残されていたレールガンが何者かに強奪されました』
「ああ……そりゃ俺たちだ。そういやそんなこともあったな」
『やはり竜馬様だったのですか?ゲッター線を感知したので、おそらくゲッターロボだろうとは推測しましたが……。あの後、基地の整備を一からやり直さなければならなくて大変だったのですよ』
「悪かったって。あんときは必死だったんだ」
『相変わらずでございますね』
「お前のことメンテしてやるから許してくれよ。しばらくぶりだろ?」
『ええ、それは助かります。自己メンテナンスにも限界がありますので。ヒトの手でチェックしていただけるのはありがたい』
「おう。任しとけ」

相手はロボットだが、竜馬はまるで旧知の友であるかのように軽口を交わし合っている。そんな一人と一体のやり取りを、ゴウは少し離れた場所から見ていた。
会話の端々から、彼らが気の置けない仲であることはよく分かった。月で戦争をしていた頃、彼らはきっと素晴らしい相棒だったのだろう。
ゴウは何度も瞬きを繰り返す。自分の知らない竜馬がそこにいる。あんなふうに明るく振る舞う姿は、地上にいる時でも見たことがなかった。すぐそばにいるはずなのに、遠い。

「……おい、ゴウ?聞いてるか?」
不意に呼び掛けられて、ゴウは驚きで体を仰け反らせた。目の前で竜馬がゴウの顔を覗き込んでいる。ゴウの反応に新鮮さを感じたのか、竜馬は口元だけで小さく笑った。
「お前が驚いた顔するなんて珍しいな。……って、それよりだ。俺ちょっくら外に出てくるから、その間基地の中見て回ってこいよ。案内はこいつがする」
こいつ、と言われて指差されたコンシェルジュは、ゴウに向かって恭しく礼をした。ゴウは「外」という言葉に違和感を覚えて首を傾げた。基地の外に広がるのは、荒れ果てた月面と、酸素のない宇宙空間だけだ。

「外へ、何をしに?」
「……野暮用だよ」

ゴウの問いに、竜馬は正面から答えるのを避けた。まただ、とゴウは思う。またはぐらかされた。逸らされた視線が合うことはない。
野暮用なわけがないのだ。月に来る前、竜馬は「やり残した用事がある」と言っていた。竜馬がここへ来たのは、それを果たすためなのだろう。きっと大切なことのはずだ。しかし――いや、「だからこそ」かもしれない――ゴウはそこへ伴わせてはもらえない。

じゃあな、と背を向けて竜馬は一人で行ってしまった。その背中を追いかければ、「一緒に行きたい」と無理を言って食い下がれば、竜馬は連れて行ってくれたかもしれない。だがゴウは何も言えないままその場に立ち尽くすしかなかった。透明な壁がどこまでも竜馬を遠ざける。
『……ゴウ様、大丈夫でございますか?』
「……わからない」
心配して声を掛けてきたコンシェルジュにも、そう返すので精一杯だった。



『こちらは食堂です。最大二百名まで収容可能でして、昼どきには人でごった返すこともありました』
『こちらは寝室棟です。おおむね四名ずつの部屋になっています。竜馬様がたは三名で一部屋を利用しておられました』
『こちらは談話室です。つかの間の休息をこちらで取られる方も多く、宴会が開かれることもしばしばでした』

コンシェルジュの流れるような説明を、ゴウはぼうっとした顔で聞き流していた。基地内は広大で、一通り歩いて回るだけでもかなりの距離だ。隅々まで手入れが行き届いているのは、このコンシェルジュがきちんと管理しているからだろう。十五年以上もの間、誰もいないこの基地を守り続けてきたのだ。

「お前は、ずっとひとりでここにいて、さみしくないのか」
『寂しいという感情は分かりかねます。これがわたくしの仕事ですので。それに、竜馬様やゴウ様がいらっしゃってくれますから、ひとりではございませんよ。……さあ、着きました。こちらは格納庫です』
格納庫には、機体の残骸がそこらじゅうに散らばっていた。使えそうな部品を片っ端から掻き集めて、使えないものは投げ捨てた――そんな様子だった。

『ここばかりはわたくしも手のつけようがなく、以前のままです。竜馬様が久しぶりに基地へおいでになった時は、ずっとこの格納庫に籠もりきりでした。わたくしの言葉にも耳を貸していただけず、ゲッターの改造に没頭するばかりで……。まるで人が変わったようでした。今日いらした竜馬様は、以前の雰囲気に戻られていましたが。地上で何かあったのでしょうか?』

ゴウはその問いにきちんと答えることができなかった。俯いて黙り込んでしまう。
月面での戦争が終わってから現在に至るまで、あまりにも多くのことが起こった。しかしその全てを詳細に説明することは到底できそうになかった。ゴウが知っているのは機械的な記録だけだ。その時に竜馬が見たものも、感じたことも、決して知ることはできない。

竜馬の口から断片的に語られる過去の記憶は、どれも明るくてあたたかい「思い出」だけだった。早乙女研究所で起きたおかしな事件だとか、武蔵の食い意地の話だとか、隼人がいかに説教臭く面倒な奴かを実感した話だとか。思い出話をする時の竜馬はいつも懐かしそうに目を細めていた。柔らかい眼差しがそこにあった。――けれど、悲しい記憶の話は一度として聞いたことがない。まるで意図的にゴウからその話題を引き離すかのように。ゴウは竜馬の中の美しい思い出にしか触れさせてもらえない。

ゴウはただただ俯いた。――そばにいるのが自分だから、竜馬は話してくれないのだろうか。もし相手が隼人や弁慶なら、竜馬は何も隠すことなく感情を打ち明けられるのだろうか。悲しみや痛み、傷跡。それらすべてを知りたいと思うのに、触れようとすれば遠ざかる。

「よう、待たせたなお前ら。野暮用終わったぜ」
格納庫に、竜馬の殊更明るい声が響いた。顔を上げると視線の先に竜馬の笑顔があった。笑っている。竜馬は泣いてなどいなかった。たとえその表情が悲しみに陰ることがあったとしても、ゴウには決して見せてはくれないのだろう。それがとても悲しくて、悔しくて――さみしい。

竜馬の笑い顔を見ていると、どうしてか胸が張り裂けそうになる。鼻の奥がつんと痛む。何度も瞬きをしているうちに、視界が膜を張ったように滲んだ。唇が小刻みに震える。このままではだめだ、これはきっと溢れさせてはいけないものだと分かっているのに、止められない。
「……ゴウ?」
竜馬に名前を呼ばれた瞬間、支えていた糸がふつりと切れた。ゴウの大きな目に涙が浮かんだかと思うと、堰を切ったようにあとからあとから零れ落ちていく。
予想外の反応に狼狽したのは、他でもない竜馬だった。ゴウが泣くところを初めて見た驚きと、何の心当たりもなしにいきなり目の前で泣かれたことへの動揺で、柄にもなくうろたえてしまう。

「なあゴウ、どうしたんだお前、なんで泣いて……」
「……わから、ないんだ」
しゃくりあげながら、ゴウが途切れ途切れに言葉を零す。

「竜馬のことを……もっと知りたくて、ここへ来たのに……知れば知るほど、知らないことが増えていって……どうすればいいか……わからない……」

泣き方も、涙の止め方も知らない、小さな子供のようだった。竜馬は呆然とした表情で、頬を伝うゴウの涙に見入っていた。思考が混乱しすぎて、こいつは泣き方までこんなに綺麗なのか、などとどうでもいいことばかり頭に浮かんでくる。
ゴウの隣に控えていたコンシェルジュが、電子の目で竜馬を見上げる。感情がないはずのロボット相手に「睨まれている」と確かに感じた。

『竜馬様。ゴウ様を泣かせましたね』
「……俺のせいなのかよ」
『ええ、貴方様のせいですとも。どうにかなさい』
「どうにかって言われてもな……」

はらはらと涙を流すゴウは、泣くことに精一杯で、彼らの会話も聞こえていないようだった。竜馬は頭を掻いて改めてゴウに向き直った。この少年は自分のせいで泣いている。いや、もしかしたら――自惚れかもしれないが、自分のために泣いてくれているのかもしれない。涙などとうの昔に置き忘れて、泣き方もすっかり忘れてしまった自分の代わりに。
泣かないでほしいと思う。それと同時に、ずっと泣き続けていてほしいとも思う。相反する思いが渦巻いて、胸が潰れそうだった。

――暗い過去の記憶など、知らずに済むならその方がいいと思っていた。
美しく無垢な少年の目に映るのは、選び抜かれた綺麗な景色だけでいい。光の方へ、未来の方へと進む彼は、裏切りや絶望、悲しみと憎しみで満ちた過去など知らなくていい。それを背負うのは自分だけでいい。陰惨な過去の記憶が目に入らないように遠ざけ、美しい思い出だけを語ってきた。それでいいと本当に思っていたのだ。
だが、少年は今、そのせいで泣いている。過去を知りたいと願い、しかし知ることのできない無力さに涙を流している。
見せてもいいのだろうか。知られてもいいのだろうか。消えない悲しみも、今なお残る痛みも、深い傷跡も。

竜馬はゆっくりとゴウの背中に腕を回した。後頭部を掌で包み、自分の胸に押し付ける。竜馬の腕の中でゴウは一瞬体を強張らせたが、肩の力を抜くのにそう時間はかからなかった。竜馬に抱き締められるまま身を任せ、とめどない涙を流し続ける。
ゴウの体は思ったよりもあたたかく、そして柔らかかった。竜馬は、自分からゴウに触れるのはこれが初めてだったことに気付いた。肩を組むとか、頭を撫でるとか、普段のような触れ方とは違う。抱き締めたいと思ったから、抱き締めた。仲間に対する親愛でもなく、泣きじゃくる子供をあやす気持ちでもない、今までに出会ったことのない感情だった。それがどういう名前で呼ばれるものなのかを、竜馬は知らない。



およそ三十分かけて、ゴウの涙はようやく止まった。竜馬から手渡された水を飲むと、その口から小さな息が漏れた。
「ちったあ落ち着いたか?」
「……取り乱してしまってすまない」
「いや、俺の方こそ悪かった。ちゃんと話しときゃよかったな」

竜馬はゴウの手を引いて、基地内の展望デッキへと連れ出した。全面が強化ガラスで囲まれた部屋は、月面を一望することができるようになっていた。
月面には、回収されていない機体の残骸がそこかしこに放棄されている。大きく抉れたクレーターは自然のものではなく、戦闘によってできたものだろう。見渡す限り一面の灰色だ。かつて激しい戦闘が行われたその地は、今や無惨に荒れ果て、とても美しいとは言えない場所になってしまった。

しかし、その灰色の世界に、たったひとつ異なる色彩を見つけた。ゴウは瞬きをしてその色に見入った。青。月面に無造作に突き立てられた棒の先に、青い色が見える。
――ああ、そうだったのか。
その青を見て、ゴウはすべてに納得がいった。月に行きたいと言い出した時、竜馬の表情が僅かに曇った理由も。竜馬が「やり残した用事」が何なのかも。その用事にゴウを連れて行こうとしなかったのも。何もかも、分かってしまった。

青い花が月面に咲いている。
酸素のない宇宙で花は生きられない。あれは造花だ。枯れることも種を生み落とすこともない、永遠に美しいままの命なき花。そんなものが何故そこに咲いているのかをゴウは知っている。

――誰もいない場所に花を手向けるのは、死者を弔う時だけだ。
突き立てられた棒は墓標だった。青い花は弔いの花だった。竜馬は、墓参りをするために月へ来たのだ。

「……別に、隠そうと思ったわけじゃねえんだ。こんなん、お前が見たってなんも面白くねえだろうと思ったから」
ゴウの隣で竜馬がきまり悪そうに頭を掻く。そんなことはない、というようにゴウが首を横に振ると、竜馬は少しだけ目を細めた。
「地球からここに飛ばされて来た時は、インベーダーの奴らをぶっ殺すことしか頭になくて、ちゃんと墓参りもしてやれなかった。それを詫びに行きたかったんだ。でも……喋り出したら止まらなくなって……随分長いこと、昔話をしちまった気がする。らしくねえな」
竜馬が「野暮用」と言って姿を消してから戻ってくるまで、一時間はあった。その間、竜馬はずっとかつての戦友たちと話をしていたのだろう。誰もいない墓標に向かって。

「月で死んだ奴らは、インベーダーに同化されるか、引きちぎられたり潰されたりするかのどちらかだ。まともに遺体が残った奴なんて数えるほどしかいない。多くは基地に残ってた遺品しか持って帰ってやれなかった。地球にも墓はあるが、あいつらが眠ってるのはここだ。……ここだけなんだよ」

ゴウは、竜馬の横顔に視線をやった。今までに聞いたことのない話だった。ずっと遠ざけられていたことについて竜馬は語ってくれている。絞り出すような声も、陰りのある表情も、初めて知るものだった。
竜馬が墓標の前で何を語ったのかも、かつてこの月面で起きた凄惨な出来事も、その時に竜馬が見たものや感じたことも、ゴウは知ることができない。だから想像する。竜馬が友と酒を酌み交わして笑い合った笑顔を、戦いで失われた命を思って流した涙を、その横顔の中に探す。

ゴウは指先で竜馬の手に触れた。竜馬は僅かに肩を震わせたが、拒絶することなくゴウの手を握り返した。触れたところから徐々に熱が解け合っていく。
過去のすべてを知ることはきっと難しい。けれど今、さみしさで冷えた手を、優しく握ることはできる。自分が体温をもつ人間の体で生まれたのは、きっとこのためなのだとゴウは思った。

月面に咲く青い花を見つめながら、二人はいつまでも手を繋いでいた。




2022/11/20