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地獄の空は青(ネオゲ/號と隼人)

地上は炎に包まれていた。瓦礫の山から必死になって這いずり出たにも関わらず、眼下に広がる景色は瓦礫の下よりももっと凄惨なものだった。鼻を突く焼け焦げた臭い。飛び散った血や肉片。つい数時間前までは人間だったもの。当たり前のように生きて、歩いて、笑っていたはずだったもの。両親や妹もそこにいた。――今はもう、どこにも命の気配が感じられない。

周りに目をやれば、この地獄を作り上げた兵器の残骸が散らばっていた。恐竜帝国のメカザウルスだ。既に事切れていて動かない。まるで鋭利な刃物で両断されたかのように胴体が真っ二つにされている。誰かが倒してくれたのだろう。名前も知らないどこかのヒーローが。この場の命が根絶やしにされる前に間に合わなかった、ただそれだけのことだった。

「…………」
膝の震えが止まらない。助けて、と叫びたくても、喉が潰れているのか声にならない。ぜえぜえという荒い呼吸だけが繰り返されるばかりだ。命を繋いでいるだけで奇跡のようなものだった。
肋骨かどこかが折れているのか、俯こうとすると上半身に激痛が走る。仕方ないので上を見上げた。

空が見えた。空。ああ、空だ。
頭上に広がるのは、雲ひとつない青空だった。まるで青の絵の具を一面にぶち撒けたかのような晴天。地上の惨状が嘘のように、空は青く澄み渡っている。燃え盛る炎も、絶えず上がり続ける黒煙も、あの空の青さには遠く届かない。

見果てぬ青の中を、一筋の白い雲が切り裂いていくのが見えた。目を凝らす。雲ではなかった。飛行機に似ていたが、それにしては見たことのない形をしている。真っ白なその機体は宙を旋回し、空の向こう側へと飛び去っていく。

その、白が。その軌跡が。――きれいだと、思った。

家族も、帰る場所も、何もかも全て失った直後だというのに。命の絶えた地上は地獄そのものだというのに。それでも、青い空を切り裂くその白に目を奪われた。呼吸を忘れ、目を見開き、食い入るように見つめ続けた。その影が視界から消えてなくなるまで、ずっと。膝の震えはいつの間にか止まっていた。




「お前はどうしてここにいる」
「今日はフリーの日なんだからどこいたっていいだろ?ここは冷暖房完備だし、ソファーは宿舎のベッドよりふかふかしててデカいし、居座ってるとキレーな姉ちゃんがあんたの分のついでに飲み物持ってきてくれるし、至れり尽くせりで居心地いいんだよなあ」
「そういうことを聞いてるんじゃない……」

隼人は毒気を抜かれたように長い溜息を吐いた。隼人の仕事部屋に號がたむろするのは今に始まったことではない。だが、今日は右手に漫画本、左手にスナック菓子の袋と、いかにも長居するつもりの格好で現れたので流石に辟易してしまったのだ。
號は隼人の苦言を聞き流して、さっそく自分のスペースを設営し始めている。退散する気は全く無いらしい。
「あんたはいつも通り仕事してくれていいぜ。邪魔はしねえからさ!」
隼人は、好き勝手くつろぐ號を完全に無視して仕事を進める必要に迫られた。まあ、できなくはない。できなくはないが――非常に鬱陶しい。存在そのものが。

「つうか今なんの仕事してんだ?って俺に分かるわけねえか」
邪魔はしないと言った舌の根も乾かぬうちに、號は隼人のパソコンを覗き込んでくる。機密保持どうこうという意識は一切持ち合わせていないらしい。隼人は號の頭を片手で鷲掴みにして、画面から遠ざけようとする。
「五年前までのゲッター線研究に関する報告書だ。ネーサー存続のためには、過去のデータも全部晒せというのが政府からのお達しでな。研究を放棄させたのはあちらさんの方だというのに勝手なことだ」
「そりゃ大変なこって――あ、」
不意に號が動きを止めた。画面上に表示されている写真の中の一枚に目が釘付けになる。

「なあ神さん、これって……」
號が指さした先にあったのは、白いゲットマシンの写真だった。直線的なフォルム、白に青の差し色。
「お前が見るのは初めてか。これはジャガー号だ。ニューヨークでの戦いで大破して、今は写真でしか残っていないが」
ジャガー号……二号機?……ってことは、あんたがこれに乗ってたのか」
「ああ。昔の話だ」

號は食い入るように写真を見つめた。脳裏に広がるのは青空だ。あの日、何もかも失った場所で見上げた空。一面の青を切り裂くように飛んでいく、白い軌跡。忘れない。忘れられるわけがない。ずっと目蓋の裏に貼り付いて離れなかったあの白が、たった今名前を得た。

「……そっか。あの時のあれは、あんただったのか」

囁きのような独り言だった。緊張の糸が途切れ、號は一気に肩の力を抜いた。安堵にも似た息が口から漏れる。その様子を、隼人は怪訝な顔をして眺めた。
「號。一体何の話だ」
「……いや、こっちの話。なんでもねえよ。ついさっき自己解決した」
要領を得ない號の返事に隼人はまた首を傾げたが、それ以上は何も訊かなかった。號がやけに清々しい顔をしていたからだ。ジャガー号の写真で何に気付いたのかは知らないが、自己解決したというのは本当なのだろうと思うことにした。

號はまじまじと隼人の背中を見て、それから窓の向こうに目を向けた。あの日とよく似た青空が広がっている。違うのは、地上はもう地獄ではないということ。そしてあの白い軌跡はもう見られないということ。
だが、目蓋の裏側にはまだあの白が残っている。きっとこれからも忘れることはない。たとえ隼人が何も知らなくても。地上がかつての惨劇の記憶を薄れさせても。
地獄の底で青空を見上げた少年は、いつまでも白に憧れていた。




2022/11/06