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ごめんね、連れていけないよ(竜號)

※現パロ?謎時空
※ゴウくん(ショタ)を誘拐した竜馬が二人でいびつな生活を送る話
※バッドエンド一直線



夜九時過ぎ。鍵を開けて中に入る。電気をつける。部屋の奥、ベッドにもたれかかっていたお前がぱっと顔を上げる。
「おかえり、竜馬」
明るい表情。弾む声。嬉しさを隠そうともせず俺に駆け寄る。これが俺たちのルーティンだ。その反応全てがお前の本心から生まれたものだと俺は錯覚する。ああ、別にどちらでもいい。本物に見せかけた偽物でも、命を守るための防衛本能だとしても。きっと俺は同じように救われてしまう。

「いい子にしてたか」
「うん」
頭を撫でると、お前は心地よさそうに目を細めた。俺は「お土産」と言いながら手にしたビニール袋をお前に押し付ける。中身を見て、お前は歓声を上げた。プリンとゼリーとヨーグルト。それぞれ違う味を3種類ずつ。お前がどれを食べたい気分なのか分からなかったから、とりあえず売り場にあったものを全種類買ってきたのだった。

「うれしい。いっしょに食べよう」
「ああ」
「手は?」
「これから洗う」
「うがいも」
「ちゃんとするって」

このやり取りも毎日のルーティンの一つだ。手洗いとうがいは必ずしなくちゃいけない。どちらかでも疎かにすると、お前が口うるさく言うから。お前は元の家でもしっかりその二つが習慣化するまでしつけられたんだろう。
足を引きずりながら洗面所に向かうと、部屋の向こうで冷蔵庫の扉を開ける音が聞こえた。それからカチャカチャという金属が擦れる音。お前が冷蔵庫に「お土産」の余りを入れて、スプーンを用意する姿が容易に想像できた。軽やかな足音は、空気の淀んだこの部屋にはあまりにも似つかわしくない。それでもお前はここにいる。

胸の前で両手を合わせ、「いただきます」と言ってからお前はゼリーの蓋を開けようとする。だが変なところで突っかかったのか、開け口がずたずたになっても開封の儀は成功しない。黙り込んでしまったお前の手からゼリーを取り上げて、俺は力任せに蓋を開けた。こぼれた液体がテーブルに飛び散った。
お前は黙々とゼリーを食べる。さっき開けた蓋にはぶどう味と書かれていた。小さい子供って案外ゼリー好きだよな。もっと砂糖が大量にぶちこまれてるような代物を好みそうなイメージがあったが、お前が選ぶ時は大抵ゼリーが先だ。お前以外の子供にまともに接したことがないから、もしかしたらお前個人の好みってだけかもしれねえけど。

「ゼリーにしたんだな。果肉入りか?」
「うん。つるつるしていておいしいから」
「あーわかる。食欲ない時はヨーグルトとかよりゼリーだよな」
どろどろした半固形物より、ゼリーだとかアイスみたいな喉越しの良いものの方が助かる。いつぞや酷い風邪をこじらせた時のことを思い出した。今もどちらかと言えばゼリーを食べたい気分だった。

「竜馬は食欲がないのか?」
「んなわけじゃねえけど」
「でも顔色がわるい。今日もいつもより帰りがおそかった」
「仕事が立て込んでるだけだよ……気にすんな」

お前は心配そうな顔をするものの、それ以上は何も言ってこなかった。聞き分けの良い子供だ。
変な気遣いをさせないように、俺は目の前に置かれたゼリーを食べ始めた。お前と同じぶどう味だった。ぶどうってこんな味だったか。香料と甘味料に邪魔されて本物の記憶が曖昧だ。果物なんてもう何年も食べた覚えがない。きっとこんな味だったはずだと自分を納得させるしかなかった。

「竜馬、さんぽにはいつ行く?」
「時間的にまだ早いだろ。日付変わってからだな。起きてられるか?」
「だいじょうぶだ。さっきまでたっぷり寝たから」

俺が家に帰ってきた後、俺たちは二人で深夜の散歩に出かける。お前は昼間に寝て、俺が帰ってくる夜に起きる。完全なる昼夜逆転生活。お前はもうその生活習慣に慣れきっていた。
日付が変わる頃に外へ出て、人けの少ない道を選んで歩く。俺は夜でもお前に帽子をかぶらせる。道先で人の気配がしたら回れ右をして迂回だ。そうしていつもの公園に行く。ブランコや砂場で一人で遊ぶお前を俺はぼんやりと見る。帰りはまた手を繋いで家を目指す。それもまた俺たちのルーティンだった。

そういえば、いつから始まったんだっけ。覚えてはいないが随分前からだ。お前は一度も外に出たいとは言わなかった。でもさすがにずっと家の中じゃ悪いと思って、俺から深夜の散歩を提案したんだ。「さすがに」も「悪い」も何もねえよな。こいつを閉じ込めたのは俺なのに。――気分が悪い。

「竜馬?」
お前が上目遣いで俺を見上げてきた。疑うことを知らない子供の目だった。あまりにも純粋で、あまりにも無垢で、それだから俺は、俺は。
震え始めた俺の手に、お前の手が重なった。俺の手の半分ほどもない小さな手だ。子供の手だ。滑らかで少し冷たい。俺の掌を、いたわるようになぞる。最初に会った日もお前はそうしてくれたよな。お前の首を締めようとした俺の手に、お前は優しく触れたんだ。

――あ、無理だ。
そう思った瞬間、俺はテーブルの上に置かれたビニール袋を鷲掴みにした。「お土産」の入っていた袋だ。手の届く場所にあって助かった。物凄い勢いで袋を開け、その中に顔を突っ込む。胃が捻れるような感覚。次の瞬間、俺は胃の中身を盛大にぶちまけた。
「ぅ……げ、え、えぇ、……」
「りょうま、」
さっき食べたばかりのゼリーの名残と果肉の一部が、酸っぱい液体と一緒に垂れ流される。朝も昼もまともに食えてないから、あとから出てくるのは胃酸ばかりだ。ろくに出せるものもないのにえずきが止まらない。俺は肩を震わせながら何度も何度も間抜けな声を上げた。苦しい。気持ち悪い。苦しい。誰か。

「りょうま、りょうま、」
お前は俺の名前を呼んで、背中をさすってくれる。その優しさも今の俺には逆効果だった。お前が触れるたびに俺はげえげえと空っぽのえずきを繰り返す。いいんだ、やめてくれ、大丈夫だから、なあ、やめてくれ。手を離してほしくて言葉を探すが、声になる前に吐き気が邪魔をする。

何もかも出尽くしてからしばらくして、体の震えがやっと落ち着いた。生理的な涙と汗と涎と、色々な液体でぐちゃぐちゃになった顔を服の裾で拭う。お前と目を合わせることはどうしてもできなくて、俺はその場に蹲った。必死で身を守ろうとする芋虫のように、体を小さく縮こまらせて何かに耐えた。吐き気の代わりに今度は嗚咽が口から漏れ始めた。呻き声を上げながら泣いた。
「竜馬、」
お前が俺の名を呼ぶ。その声に俺は応えることができない。細い腕が俺の頭を抱きかかえるのが分かった。微かに心臓の音が聞こえる。
「……苦しい?」
問いかけに、俺は小さく頷いた。苦しい。もう終わりにしたい。解放されたい。始めたのは俺で、終わらせるのも俺だと分かっているのに、自分ではどうすることもできない。ただ蹲るしかなかった。

そうだ、始めたのは俺なんだ。早乙女という男に人生を滅茶苦茶にされて、復讐してやろうと思った。そいつ自身を殺すよりも、そいつが一番大切にしているものを奪ってやるのがいいと思った。だから俺はお前を選んだ。早乙女の息子だというお前を。攫うのは簡単だった。お前が疑うことを知らない子供だったからじゃない。俺が手段を選ばない卑怯な大人だったからだ。両手の数ほども生きていない子供の体は、あっけなく俺の腕の中に収まった。
最初はすぐに殺すつもりだったんだ。暴れるようなら手足を縛って、首を絞めればそれで終わりのはずだった。あっけなく捩じ切れそうなほど細い首だった。なのに。なのにお前が、俺の手に優しく触れたから、何もかも全部台無しになった。

首輪も、手枷も、足枷も、お前を縛るものは何もない。鍵だってかかっていない。でもお前は決して逃げ出したりしなかった。家に帰りたいとも、家族に会いたいとも言わなかった。ただ俺の頭を撫でて「苦しい?」と問う。俺は頷くことしかできなかった。あの日からずっとそうだ。お前とのいびつな生活を選んで、今日までずるずる生きてきた。がらんどうの部屋でお前が「おかえり」と俺に微笑みかけるたび、俺は救われながら壊されていた。閉じ込められて逃げ出せずにいるのは俺の方だった。

「苦しい?」
お前はもう一度その言葉を繰り返した。俺はまた頷いた。苦しい。苦しいよ。苦しくてたまらない。体も心も。
きっとお前はこれからも俺との生活を続ける。誰もいない部屋で俺を待ち続け、俺におかえりを言い、俺から与えられる食い物をうまそうに咀嚼し、俺と手を繋いで真夜中の道を歩き、朝になれば眠い目をこすりながら俺を送り出す。なあ、それでいいのか。それでいいんだよな。お前が心の底からそれを望んでいると分かるから、俺はこんなにも壊れていくんだ。

もう行こう。お前は俺についていきたがるだろうし、きっと二人でも行けるけど、俺は一人で行かなくちゃいけない。

お前は俺の頭を撫で続ける。早く手を離してほしくて、でも自分から振り払うことはできなくて、俺はまた蹲って嗚咽を上げた。




2022/07/24

リクエストで「ストックホルム症候群のようなメリバ竜號」でした


BGM:はやく夜へ/水槽

「一人で行こうかな 二人で行けるけど 一人で行こう」


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