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さよならじゃなくて(竜號)

「それじゃまたね、ゴウ」
「ああ。さよなら」

いつもの挨拶、いつもの別れの言葉であるはずだった。しかしその日だけはいつもと違っていた。普段ならすぐに背を向けるケイが、ゴウを見つめたまま顔をくしゃりと崩したのだ。眉尻を下げて目を瞬かせる。その目は僅かに潤んでいるようにも見えた。
「どうしたんだ、渓」
そんな反応が返ってくるとは思っていなかったので、ゴウは慌てた。いつもの通りの挨拶を交わしただけだと思ったが、知らぬ間に何か言ってはいけないことを言ってしまっただろうか。駆け寄って顔を覗き込むと、唇を引き結んだケイと目が合った。

「ゴウはさ……どうして『さよなら』って言うの?」

返答に窮する問いだった。どうしてと聞かれても、答え方が分からない。ケイがどんな答えを望んでいるのかも。
「さよならは、一般的な別れの言葉だと思っていたが……違うのか」
「あ、いや、違わないよ!?違わないけど、その、」
彼女にしては珍しく歯切れが悪かった。視線を彷徨わせて言い淀む。

「なんていうか……ゴウの『さよなら』は静かすぎて、本当にこのまま会えなくなっちゃうんじゃないかって思う時があるの。……おかしいよね、すぐにまた会えるのに」

誤魔化すように笑うケイを見て、ゴウは一緒に笑うことができなかった。一度は彼女を置いて命を使い切ってしまった身だ。取り残されてしまった側の気持ちは、きっと本当の意味で理解することはできないのだろう。ゴウにできるのは、その心情を分からないなりに推し量ることだけだ。

「渓は、さみしいのか」
「さみしい?……うん、そうかも。たぶん、さみしいって気持ちに似てる」
「……竜馬も、さみしかったんだろうか」
――あの時の竜馬も、ケイと似た顔をしていたから。

「え?」
ケイが瞬きをして顔を上げる。竜馬さんがどうしたの、と問うてくる視線を「いや、こっちの話だ」と受け流す。
「さよならがさみしいなら、俺は代わりにどう言えばいい?」
「あたしだったら『またね』とか『また明日』って言うけど。また会う約束みたいで安心できるでしょ?」
「約束……」

約束なんて、できないと思っていた。この命は真ドラゴンの起動のためだけに生み出され、役目を終えれば消えるはずの運命だったからだ。でも今は違う。これから先も生きていくことを願われ、そして自分も生きたいと願った。だから自分はここにいる。先の見えない約束も、今なら叶えられる。
ゴウはまっすぐにケイを見た。

「……そうだな。約束だ、ケイ。また明日会おう」
「うん!またね、ゴウ!」

ケイは嬉しそうに笑った。その笑顔を守るためなら何でもしてやりたいと心の底から思った。



ゴウの隣で、竜馬が工具を手に計器を弄っている。
「あー……そっちの配線はここに繋ぐ。で、ここをこうして、こう。ゲッターに限らず大抵の計器はとりあえずこれで動く」
「なるほど」
「まあ応急処置だけどな。応用が利くから覚えてて損はねえと思うぜ」
右手でくるくると工具を回す手付きは慣れたものだった。ゴウは思わず拍手をした。

元は一週間ほど前、畑の農作業で使っていた機械が動かなくなって困っていたところを、たまたま竜馬に直してもらったのがきっかけだった。
「ちょっとした修理くらいしかできねえが」という謙遜とは裏腹に、竜馬はいとも簡単に機械を復活させ、もっと動きがよくなるように整備までしてくれたのだった。ゴウにはまるで魔法のように見えた。自分はゲッターを操縦するだけで、修理や整備のことはまるで分からず人任せにしてしまっている。けれど竜馬のように、自分で手入れをすることができるなら。そう思った時には既に、「俺にやり方を教えてくれないか」と申し出ていた。竜馬は少し驚いた顔をしていたが、俺でいいなら、と了承してくれた。
そして今日も、ゴウは竜馬から計器の直し方を教わっている。実演を交えながら手順を説明してくれるので、ゴウでもすんなり飲み込めた。

「こっちの方はお前が自分でやってみろよ。今教えたやり方でいけるから」
「わかった」

頷いて、手渡された工具を握った。ゴウが作業する横で、竜馬が時折アドバイスを入れる。配線のやり方が分からずに手が止まると、竜馬の腕が伸びてきて、難しい部分を代わりにやってくれた。ゴウはそんな竜馬の横顔をじっと見つめる。
竜馬は、月に飛ばされた後、一人でゲッターを修復したのだという。それ以前の月面十年戦争でも、たびたび自分でゲッターの整備を行う必要に迫られたそうだ。計器を弄るのが手慣れているのはその経験があるからなのだろう。作業している竜馬の横顔は真剣そのものだった。

ゴウが見てきた竜馬は、険しい顔や暗い顔をしていることが多かった。激しい怒りを燃やす瞳や、敵をどこまでも追い詰めて叩き潰す姿、見えない荷物を背負う広い背中。喜怒哀楽でいえば「怒」と「哀」の色が濃い。元からそういう人なのだろうと思っていた。
だが、こうやって近くで接してみると随分印象が違う。戦いの時のような激しさは普段影を潜めていて、穏やかに笑ったり、静かに遠くを見ていることの方が多い。近くにいるのが自分だからだろうか。隼人や弁慶と一緒にいる時の竜馬はもっと表情豊かだった。まだまだ知らないことばかりだ。そしてもっと知りたいとも思う。なぜそう思うのかは自分でも分からないけれど。

「……おい、聞いてるか、ゴウ?」
「あ……すまない、考えごとをしていた」
声をかけられて、ゴウははっと我に返った。竜馬の横顔を眺めることにばかり気を取られていた。今は計器を直すことの方が先だ。
竜馬の指示通りに作業を進めたら、二十分ほどで修理が完了した。自分でもできたという達成感がゴウの胸に湧き上がってくる。横で竜馬が「上出来だ」と笑った。

「竜馬は、すごいな。ゲッターの操縦だけじゃなくて色々なことを知っている」
「そのセリフは隼人とか弁慶に言ってやれよ。あいつらに比べたら俺なんて全然、」
「隼人や弁慶のすごさと、竜馬のすごさはまた別だろう。それに竜馬は教えるのも上手だ」
「……そうか?」
「だって、ほら、教わった通りにやったら俺にもできた。竜馬が教えてくれたおかげだ」

その言葉に世辞はなかった。ゴウは元々飲み込みの早い方ではあるが、それでも初めてでここまでできたのは、竜馬が根気強く教えたからだった。
竜馬は照れを隠すように視線を逸らすと、「もうこんな時間か」と空を仰いだ。西の空が赤く燃えている。気付けば日没が近くなっていた。
「暗くなる前に帰った方がいい。続きは今度な」
今度――今度とは、いつのことだろう。聞きたいと思う気持ちはあったが、聞くための言葉が喉の奥で絡まっている。ゴウは黙ったまま竜馬の言葉に頷いた。本来なら聞く必要のないことだ。会う気になればいつでも会える。竜馬は勝手にどこか遠くへ行ったりはしない。分かっている、分かっているのに。

竜馬はどこかの空き家に一人で住んでいる。自分たちのいる宿舎で一緒に暮らせばいいと弁慶が持ちかけたこともあったが、「一人の方が気楽だから」と断られてしまったのだという。
竜馬はあまり人をそばに近付けさせないところがある。話しかければ素直に応じてくれるし、こうして色々なことを教えてくれる面倒見がいいところもあるが、どこかで線引きをしているような気がしてならないのだ。そしてその内側に、自分はまだ入れさせてもらえない。
透明な壁はすり抜けようと思えばいつでもそうすることができるはずだった。しかしゴウは立ち止まったままでいる。竜馬が自分から招いてくれるまでは、まだ。

「じゃあな、ゴウ」
竜馬が背を向けた。その背中に向かって、ゴウはいつものように「さよなら」と言いかけたが、「さ」の口の形のまま固まった。

――本当にこのまま会えなくなっちゃうんじゃないかって思う時があるの。

ケイの言葉を思い出した。ああ言われた時、ゴウの脳裏には竜馬の顔が浮かんだのだ。いつだったか、別れ際に挨拶をしたら、竜馬もケイと同じような顔をした。「さよなら」を言った後の、ほんの少し陰が落ちたあの表情。あれはきっと、さみしいという気持ちだ。

「竜馬!」

ゴウは「さよなら」の四文字を飲み込んで、代わりに竜馬の名を呼んだ。竜馬がこちらを振り返る。その後ろで、沈みかけの夕陽が赤々と竜馬の体を照らしていた。燃えるような赤だ。ゴウは眩しさに目を細めた。そして息を吸い込む。さよならではなく、また会う約束をするために。「今度」がいつになるのかを聞く必要なんてなかった。今ここで決めてしまえばいいんだ。俺は竜馬にまた会いたい。明日も、明後日も。だから約束をする。

「竜馬――また、明日」

竜馬は不意を突かれて目を見開いた。数秒、告げられた言葉の輪郭を確かめるようにゴウを見つめ、そして。
「ああ、また明日」
竜馬は笑った。白い歯を見せて、まるで少年のように屈託のない笑顔を見せた。目尻に笑い皺ができている。ゴウは竜馬のそんな笑い方を初めて見た。自嘲気味に笑うのでもなく、穏やかな笑みでもなく、星屑がこぼれ落ちるような笑顔だった。胸のあたりが締め付けられるように痛む。

好きだ、と。瞬間的に思った。
何が、とか、誰が、とか、具体的なことは何も分からない。ただ「好きだ」という感情だけが溢れ出してくる。ゴウはわけもわからず胸をぎゅっと押さえた。去っていく竜馬の背中を見つめ続けることしかできなかった。
変えられてしまった。あの笑顔に、何もかも。





2022/03/06

BGM:雨が降る/坂本真綾

「すぐにまた逢えるのに きみのさよならは
いつもやけに静かで 少し永遠に似てる」


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