luica_novel

書いた小説の倉庫です

デルタのひみつ(モブ整備士とアークチーム)

「あ、二等辺三角形だ」
頭の中で思ったことがつい声に出ていた。僕は慌てて周りを見回したけれど、誰にも聞かれていないようだったのでほっと息を吐いた。そうして、下の方に見える三つの点を見下ろした。

一つ目の点は、短い黒髪。黒猫の耳のような癖毛が立っている。二つ目の点はさらさらした金髪。三つ目の点は形の良い坊主頭。訓練を終えたアークのパイロット三人が、ゲッターから降りるや否や、ああだこうだと言い合いを始めていた。

整備士である僕は、キリクの機体によじ登って損傷箇所を確認しているところだった。怒声に似た声を聞いて思わず手を止め、声がした方に視線を落とす。ここからでは三人の会話の内容までは聞き取れないが、揉めているのは分かる。合体訓練中、速度を出しすぎたアークがキリクと接触し、僅かに機体を損傷させたのだ。言い合いの原因はきっとそれだろう。

拓馬と獏が横に並び、その二人と向かい合うようにして、カムイが数メートル離れた場所に仁王立ちしている。三つの点を星座のように繋げると、ちょうど二等辺三角形になるのだ。
カムイは相当怒っているらしかった。それもそうだ、拓馬の独断専行によって、自分の大事な機体が傷付いたのだから。目を吊り上げたカムイが何かを口にして、それを聞いた拓馬がカムイに掴みかかろうとした。束の間、二等辺三角形のかたちが崩れる。しかし、二つの点が重なる前に、もう一つの点が待ったをかけた。獏が拓馬を羽交い締めにして止めたのだった。必死に制止しようとしているのが分かる。

獏が引き止めたおかげで、取っ組み合いの喧嘩は免れたようだ。獏がカムイに何か言葉をかけたが、カムイは憮然とした顔のまま歩き出してしまった。等辺がどんどん伸びていく。拓馬と獏がその後ろで、仕方ないというような顔をした。細く長い二等辺三角形が、格納庫の外へと消えていった。



また別の日、今度は違う図形が描かれていた。
「今日は正三角形かあ」
手を止めてその三角形を見下ろす。最近はもっぱら二等辺三角形ばかりだったから、この形が見られるのはちょっと珍しい。

「おい新人、何の話だあ?三角形がなんとかってよ」
「あっ……すみません、リーダー!」
機体の影からぬうっと姿を現した人物に、僕は慌てて返事をする。色黒で恰幅がよく、筋骨隆々のその人は、僕が所属する整備班のリーダーだった。この早乙女研究所の中でも古株だという言葉に違わず、年長者の貫禄を感じさせる佇まいをしている。怒らせると怖い。そして現状、リーダーを一番怒らせているのは新人である僕なのだった。新人といっても、僕がこの早乙女研究所に整備士として配属されてからもうすぐ一年が経とうとしている。それでも相変わらず仕事の覚えは悪いし、ちょっとしたミスでリーダーを怒らせてばかりだし、新しい後輩も入ってこないので、僕はずっと新人扱いを受けていた。こればかりは仕方ない。

リーダーは僕の隣に体を寄せて、僕と同じものを見ようとした。眼下にあるあの正三角形を。
「ほら、アークチームの三人が並んでいるでしょう。ここから見ると三角形みたいに見えるんです。日によって形が変わるので、今日はどの形かな~って見るのがちょっとした楽しみで。いつもは二等辺三角形が多いのに、今日は正三角形だから珍しいなって思ってたところです。面白くないですか?」
僕はちょっと得意になってリーダーに説明する。リーダーはまじまじとアークチームの三人を見下ろしていた。

正三角形を形作っている当の三人はというと、なんだかいつもより和やかな雰囲気のように思えた。正三角形のときは大体こうだ。三人とも付かず離れずの均等な距離。誰かと誰かが近すぎることもなく、離れていくこともない。

身振り手振りを交えて何やら一生懸命に話す拓馬、それに相槌を打つ獏、カムイはいつもの無表情だ。拓馬が獏に向かって同意を求めるように肩を叩くと、獏はちょっと考える素振りを見せてから、首を傾げて何かを呟いた。次の瞬間、無表情だったカムイがいきなり顔を背けて噴き出した。黙って耳だけ傾けてはいたものの、とうとう耐えられなくなって破顔してしまったというような感じだ。よっぽど獏の反応がつぼに入ったらしい。カムイの笑いは止まらず、しまいには肩を震わせて笑い始めた。緩む口元を手で押さえ、目をくしゃりと細めさせて、笑う。

拓馬と獏はしばらくの間ぽかんと口を開けてカムイを見ていた。カムイがそんなふうに笑うなんて思ってもみなかったんだろう。状況を理解した二人は顔を見合わせて、それから拓馬がカムイの肩に腕を回した。カムイにつられて拓馬と獏も顔いっぱいに笑う。
三人がどんなことを話していて、何が面白くて笑っているのかは僕には分からない。でもそれでいいんだ。きれいに形作られた正三角形がそこにあるなら。


「仲がいいのはいいこった」
僕の隣で、リーダーが感慨深げに呟いた。目を細めて三人を見つめている。
「三人がちゃあんと揃ってて、ああして笑い合ってられるんなら、それに越したことはねえ」
しみじみとした口調だ。リーダーはもう二十年近くゲッターの整備班として働いているという。早乙女研究所がネーサーという組織だった頃から、たくさんのパイロットたちを見てきたんだろう。その間には、三人が揃わなかった時期や、三人から誰かが欠けてしまった時期だってきっとあったはずだ。

僕は、アークチームが「チーム」ではなかった頃のことを知っている。
拓馬と獏が早乙女研究所に来るまで、アークはカムイだけが一人で乗っていた。パイロット候補が次から次へと送り込まれはしたが、ことごとくが脱落していったのだ。
僕は長いこと、カムイ一人の「点」だけを見下ろしていたように思う。誰とも繋がることのない「点」だ。格納庫を歩くカムイはいつも一人で、いつも無表情だった。悲しいとか淋しいと思ったことはない。僕がここに来た時から既にカムイは一人だけのパイロットで、それが当たり前の風景だったからだ。

でも違った。この均等な距離の三角形こそ、パイロットたちの本来あるべき姿なのだ。今なら分かる。誰もが直感でそう感じるくらい、眼下の図形は美しいバランスを保っていた。
できればこの三角形がずっと続きますようにと僕は祈る。彼らがひとたび戦場に出てしまえば、下っ端の整備士である僕にできることは何もない。彼らが全力を出して戦えるように機体を万全の状態に整えて、それから先はただ祈るだけだ。



三角形を見なくなったのは、早乙女研究所が蟲の襲撃を受けてからのことだった。古い施設に引っ越しをしてしばらくしたら、あのパイロットたちの姿が格納庫から消えた。それも機体ごとだ。下っ端には詳細は聞かされなかったが、何やら極秘の計画が水面下で動いているということだった。仕方ない、仕方ないけれど、やっぱり少し淋しいと感じた。あの三角形を眺めるのが、僕の密かな楽しみだったからだ。

アークがいなくなっても、僕らの仕事は次から次へと途切れなかった。ストーカの脅威は日増しに増大し、アンドロメダ流国は断続的に兵力を送り込んでくる。ゲッターD2は出撃のたびにどこかしらを損傷させて帰投するから、整備士の僕らは休む暇がなかった。慌ただしい日々はいつしかあの三角形の記憶すら薄れさせていく。

そうして、その日は突然に訪れた。
かつてのアークのパイロット、三角形のひとつの「点」だった彼が、人類の敵として宣戦布告した。

恐竜帝国は人類に対して容赦がなかった。たくさんの人が死んだ。僕の身近な人たちも。地上は瞬く間に侵略されていき、早乙女研究所の職員たちにも退去命令が出された。整備班も例外ではなかった。
そこまでの状況に追い込まれてもなお、僕はまだ信じられなかった。カムイが人類の敵に回るなんて。だって彼は、拓馬や獏と一緒に笑っていたじゃないか。

「もうあの三人が揃うところは見られねえだろうなあ」

整備班が早乙女研究所を離れることになった時、リーダーが淋しそうにそう呟いた。僕は俯くことしかできなかった。
カムイは取り返しのつかないことをした。もう戻れない。あの三角形が形作られることはない。



しばらくして、避難生活を送っていた僕に、連合軍から招集が掛かった。曰く、アークが地上に戻ってきたという。連合軍にはアークの整備を担当できる者がいないため、力になってほしい、と。
――アークが戻ってきた!
僕は二つ返事で了承し、連合軍の基地に飛んでいった。そこで目にしたのは、ぼろぼろになったアークの機体と、暗い表情のパイロットたちだった。
パイロットは戻ってきた。ただ、三人が二人に減っていた。残りの一人であるカムイはどこにもいなかった。それが、拓馬と獏が暗い顔をしている理由だった。

激しく損傷したアークは、戦いの壮絶さを物語っていた。半身は削げ落ち、内部機構が丸見えになっている。それでもここまでパイロットを守り抜いた。
「よく頑張ったなあ」
塗装の剥がれかけたボディを撫でてやる。これを修理するのは相当に骨が折れるだろう。溜息が漏れる思いだ。でも、やるしかない。アークは希望だ。僕たち人類にとって、そして何より、僕自身にとっても。

「直りますか、こいつ」
不意に声をかけられて、僕はきょろきょろと辺りを見回した。「こっちっすよ」と上から声が降ってくる。そちらへ視線を上げると、アークの肩あたりに腰掛けた拓馬と目が合った。
拓馬は軽い身のこなしでアークから飛び降り、僕の隣に着地する。遠くから見ている分にはもっと背の高い印象だったけれど、隣に立ってみると案外そうでもない。僕よりいくらか低い場所に拓馬の頭がある。

「きっと直してみせるよ。そのために僕はここに来たんだ」
「……アークの整備してくれてた人っすよね」
「ああ、運良く生き延びたよ。こうしてまたアークに再会できて嬉しい。もちろん君にもね」
「……はい」

早乙女研究所にいた頃には、軽く挨拶を交わすくらいはしていたけれど、こうしてまともに会話をするのは初めてだ。敬語を使い慣れていない感じはあるけれど、下っ端の整備員にすぎない僕にもちゃんと礼儀正しく接してくれる。不安が入り混じった目でアークを見上げる姿は、まだ少年の面影を残していた。確か十九歳と言っていたか。いや、あれから半年以上過ぎているから、もう成人しているのかもしれない。それでもこうして間近で見るとまだまだ子供だ。

……きっと不安なんだ、彼も。地球はじきに人類が住めない環境に変わってしまう。それは不可逆の変化だ。今は大急ぎで火星への移住計画が進められている。いずれは地上の生き残りすべてが火星に行くことになるだろう。
先行きの見えない未来。ぼろぼろになって機能を停止したアークの機体。――そして、行方知れずのもうひとりのパイロット。

「君たち三人、何があったんだい?」

気付けばそんな疑問の言葉が口から零れ落ちていた。今聞かなければ、彼の口から直接聞けるチャンスはもう巡ってこないだろうと思ったからだ。
拓馬は少し驚いたような顔をして、それから二度三度と瞬きを繰り返した。沈黙が流れる。整備場には他にも人が大勢いて、機械の音や喧騒が飛び交っているのに、僕たちの周りだけそこから切り離されたみたいに静かだ。その空気を作り出しているのは紛れもなく拓馬だった。

「……喧嘩したんすよ」

たった一言それだけ呟いて、拓馬はまた黙ってしまった。もっと何かを語ってくれるんじゃないかと期待して言葉を待ってみたけど、それ以上の説明は得られそうになかった。拓馬は半壊したアークをじっと見上げている。その唇は一文字に結ばれたまま。

「喧嘩かあ」
僕はぼんやりと彼の言葉を反芻した。地球がめちゃくちゃになって、大勢の人が死んだ出来事も、彼らにとっては「喧嘩した」という以上の事実には成り得ないんだ。不謹慎だと言う人もいるかもしれない。でも僕は彼の言葉がすとんと腑に落ちた。
互いに守りたいものが違っていたからとか、どうしても許せないことがあったからとか。外野が考えつくような「喧嘩」の原因はいくらでも浮かんできたけれど、きっとどれも正解じゃないんだろう。彼ら三人の間に何があってどんなやり取りをしたのかなんて、彼ら自身にしか分からない。ただの整備士に過ぎない僕には、彼が話してくれる言葉を聞く以外に知るすべがなかったし、そもそも知る必要だってないはずだった。――ないはず、なんだけれど。

拓馬と獏、ふたつの点が作り出す図形は一直線だけだった。三角形を作るには点がひとつ足りない。本当に、あの三人が再び揃うところを見ることはできないんだろうか。
格納庫で二人の姿を見かけるたびに、そこにあるはずのもうひとつの「点」を頭に思い描いては、僕はひどく淋しい気持ちに襲われた。

しかしだからといって、慌ただしい日々は彼らに立ち止まることを許してはくれない。
火星への移住計画はあれよあれよという間に進み、アークの修理も急ピッチで行われた。足りない部品と人手は世界中から掻き集められ、いつまでも新人扱いされていた僕にもようやく後輩ができた。
「よろしくお願いします、先輩っ!」
深々と頭を下げる彼は、かつてアークに命を救われた市民の一人だと話した。

「だから恩返しがしたくて。機械のこととか全然分かんねえけど、アークの修理のためにバイト募集してるっていうの見て、これだ!と思ったんですよ」
「まあ、確かに人手は要るけど」
「パーツとか工具運ぶのなら任せてください!力には自信あるんで!」

彼らにも僕にも、時間は平等に流れていく。それに伴う変化も。
惑星間ロケットは次々に打ち上げられ、アークはその護衛についた。僕たちの仕事場も火星に移った。人類を取り巻くありとあらゆる環境が変わっていく中で、点が欠けた図形だけはいつまで経っても変わらない。

その日、僕はいつものように一人で格納庫に残り、アークの機体を磨き上げていた。火星に来てから毎日欠かしていない、僕の大事なルーティンワークだった。誰かに言われたからやっているわけじゃない。僕がそうしたいからしているだけだ。
外気がろくに遮断されていない格納庫は、極寒の冬のような冷気に包まれている。火星の気候には慣れたつもりでいたけど、やっぱり寒いものは寒い。僕は白い息を吐き出して、もうそろそろ終わりにしようかと伸びをした。その時だ。

ぎぎぎぎ、と格納庫の扉がこじ開けられて、外から冷たい風が吹き込んできた。僕は思わず体を縮こまらせる。侵入者?でもこんなところに何故?ここにあるのはアークの機体だけだ。強奪しようと言ったって、アークを乗りこなせるような人間は一握りしかいない。
不審に思って扉の先に目を凝らした。入ってきた人影は三人分。走りながらこちらに近付いてくる。ひとつ、ふたつ、みっつ。それぞれの点が、均等な距離で美しい正三角形を描く。――その図形を見て、僕はあっと大きな叫び声を上げた。

「おい!アーク今出せるか!?」
聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。拓馬だ。息を切らせ、興奮からか頬が紅潮している。その背後にはふたつの影。獏と、そしてもうひとり――カムイがいた。
三人、確かに三人だ。長いことずっと欠けていた点がまた揃った!
「は、はいっ!いつでも大丈夫です!!」
僕は慌てて返事をした。そうだ、この時のために僕は四六時中ここで待機していたんだ。無駄じゃなかった。来る日も来る日も、毎日機体を磨き上げていたのも。パイロットが乗らない無人のキリクを、きちんと整備し続けていたのも。すべてはこの時のため。いつでも彼らが三人揃って出撃できるように。あの図形をもう一度見るために。

開け放たれた扉の先、三人を乗せた機体が火星の空へと飛び立っていく。美しい三角形を描きながら。



「先輩!俺、最近すごいことに気付いたんすけど!」
そう言いながら僕に耳打ちしてくる後輩は、興奮気味に鼻を膨らませていた。仕事中なのに相変わらず楽しそうだ。後輩から特大サイズのボルトを受け取って、僕は耳だけを彼に貸してやることにする。

「どうせろくなことじゃないだろ。聞くだけ聞いてあげるけどさ」
「あざっす!あの、アークチームの三人って大抵いつも一緒にいるじゃないっすか!?俺あの三人並んでるの好きなんで、よくこっそり見てるんすよ。遠いから何喋ってんのかまでは分かんねえんですけど……あっ!先輩!あれっすよ、あれ!」
ぐいぐいと作業服を引っ張ってくるので、僕は仕方なく後輩が指差す方に視線を向ける。
そこにはアークチームの三人が話している姿があった。ここから見ると、三つの頭がちょうど点に見える。その点を星座のように繋ぎ合わせれば、僕らがよく知る図形が浮かび上がる。

「あれ、三角形に見えるっすよね!?」

世紀の大発見とばかりに、後輩は目をきらきらさせて僕に迫ってきた。日によって三角形の形微妙に違ったりするんですよ!だいたい二等辺三角形が多くて、次に正三角形、あっ直角三角形はレアっすね!なんて、聞いてもいないのに次から次へと教えてくれる。興奮している口調があんまりおかしくて、僕はつい噴き出してしまった。

「あの三角形に気付けたなら、新人卒業の日も近いね」
「えっ!?先輩、あの三角形のこと知ってたんすか!?」
「もちろん。これは僕たち整備士だけが見られる特権だよ」

そう言いながら、僕はまた眼下の三角形を見下ろした。
拓馬が賑やかな表情で、身振り手振りを交えながら何かを話している。向かい側のカムイは不本意そうに腕組みをしてそれを聞く。獏は相槌を打ちながら拓馬の話に耳を傾け、たまに一言二言反応を返す。また拓馬が口を動かすと、カムイがしかめっ面になった。それを見て獏が笑い、拓馬も声を上げて笑う。目尻に笑い皺ができている。二人の笑い声はこちらまで届いてきた。相変わらずカムイは険しい顔をしていたが、毒気を抜かれたのかやがて溜息をついた。口元が少し緩んでいる。

均等な距離、近すぎず離れすぎもしない三つの点。かつて早乙女研究所でも毎日のように見られたいつもの光景だ。だけど僕は、その「いつも」がかけがえのないものであることを知っている。
火星の空の下でも、彼らの作り出す三角形は美しいかたちをしていた。





2022/01/30