luica_novel

書いた小説の倉庫です

眠り姫には敵わない(拓カムと獏)

拓馬にとって、冬とはカムイが自分からくっついてくる季節だ。
ハチュウ人類は、暑さには非常に高い耐性をもっているが、逆に寒さにはとても弱い種族であるらしい。長い冬眠をすることもあるという。爬虫類自体が変温動物なので、その話を聞いても特に驚きはしなかった。

カムイはハーフであるため冬眠などはしないが、例に漏れず寒さは苦手のようだった。暑い季節にはあれだけハキハキ動き回っていた奴が、冬になると急に動きが鈍くなった。あらぬ方向を見てぼんやりしている時間が増えたし、日中でも眠そうな目をしているし、日が暮れると本日の業務は終了だとばかりにすぐ寝てしまう。恋人といちゃつきたい盛りの拓馬にとってはいささか支障がある。眠そうにしているカムイを無理に起こすのも気が引けるが、かといってそういう気分の時にいつまでもお預けを食らうのはかなり堪えるものがあった。

「カムイ、今日は何にするよ」
「うどん……」
「うどんか。あったけえもんなあ。俺もそれにしよ」

夕食時の食堂はそれなりに人が多い。今日も今日とて、カムイは眠そうに目を瞬かせながらのろのろと列に並んでいる。手に持った盆を取り落としはしないかと、隣にいる拓馬は気が気でない。
冬の寒さが深まるにつれ、カムイの動きはますます鈍くなっていった。立ったまま寝そうになっていたことも何度かある。今も、拓馬が隣で脇腹を小突いてやってるからなんとかなっているようなものだ。一刻も早く温かいうどんを食べて体温を上昇させてやらなければならない。

「月見うどんお待ち~!」
カウンターから伸びてきた手が、カムイの持った盆にうどんの丼を乗せる。カムイはほかほかの湯気に目を細めさせた。拓馬はそれと同じものに天ぷらをいくつか追加し、二人並んで食堂の空いているスペースを探す。ちょうど窓際が空いていたので、窓に近い方に拓馬、その隣にカムイが座った。
「いただきます」
「いただきます」
食前のいただきますは二人とも欠かさない。拓馬は母親にきっちりその礼儀を叩き込まれていたし、カムイも早乙女研究所で過ごす中で自然とその所作を覚えたのだろう。流れるような動作で割り箸をぱきりと割ると、同時にうどんを食べ始めた。

温かいつゆが、外気に冷やされた体にじんわりと染み渡ってくる。ごくりと一口嚥下すると、拓馬は卓上の七味を手に取ってこれでもかと振りかけた。それを見ていたカムイが同じように七味を加える。体を温めるには辛いものと相場が決まっているのだ。
二人とも食事中は無言だった。話すことよりも、食べて体を温めることの方が優先されるべき事項だったからだ。食事に集中したおかげで、五分ともたずに丼の中身は空になった。カムイの丼を見て拓馬は意外そうな顔をする。

「あれ、お前もつゆ飲み干してんじゃん」
「悪いか」
「俺が飲み干すといっつもイヤそ~な顔するくせに、自分はいいのかよ」
「……今日は寒いからな」
「ずり~!じゃあ俺たち共犯だな!」
「くだらないことで片棒を担がせるな」

ラーメンやうどんの類を食べると、つゆを最後まで飲み干すのはいつも拓馬の方だった。その度にカムイは眉をひそめる。文句を言ったり苦言を呈したりするわけではないのだが、どうせ「栄養が……」とか「塩分過多……」などと思っているのだろう。
しかし今日はカムイも拓馬と一緒につゆを飲み干していたのだった。寒さを言い訳にして。拓馬もずるいと口にしてみるが、悪い気はしなかった。
体が温まったからか、カムイは先程までよりもいくらか元気を取り戻したようだった。鼻の先が少し赤くなっている。こういうところは人間と同じだ。

「しかしまあ、火星の冬はつらいもんがあるな……お前大丈夫か」
「果てしなく眠い」
「だよなあ」

真顔で即答するカムイに、拓馬は思わず笑みを零した。ここが食堂で、拓馬と会話をしているから意識を保てているのだろうが、本心は今すぐ宿舎の自室に戻って眠りたいのだろう。カムイにとって火星の冬は地球にいた時のそれよりも耐え難いものであるらしい。拓馬でさえ音を上げそうになるほどの寒さなのだから、カムイは尚更だ。

火星にも四季はある。テラフォーミングされて、火星の元々の環境よりは住みやすくはなっているものの、気温の変化は地球よりもずっと大きい。夏の暑さと冬の寒さは特にひどく、建物内にいないとまともに生活できないのが現状だ。これでも拓馬たちが火星に来たばかりの頃よりはずっとましにはなった。あの当時はよく旅なんかできていたものだと思う。
カムイが寒さに弱いと知ったのは火星に来てからだった。地球にいた頃は異常気象で毎日が夏みたいなものだったから、それを知る機会もなかったのだ。

冬のカムイの姿は、拓馬にとってはいろいろと新鮮に映った。のろのろと締まりのない動きをする姿も、眠そうに目を擦る姿も、冬が来るまでは知らなかった。
そして何より、寒いとカムイが自分から拓馬に寄ってくる。拓馬の体温は他の人間よりも高いらしく、暖を求めてくっついてくることが多くなった。寒さが厳しい夜などは、カムイが拓馬の自室を訪れて一緒に寝ることもある。割と頻繁に。完全に湯たんぽ代わりにされているわけだが、湯たんぽでもいいやなどと思ってしまう。そういう夜はいちゃつくこともできずにただ寝るだけだ。その点に関しては多少の不満はあるものの、これはこれで悪くはないと思った。カムイが自分から拓馬にくっついてくること自体が非常に稀なのだ、その特別感を味わえる冬という季節に感謝しなければならない。

食堂のざわめきを背景に、カムイがこてんと拓馬の肩に頭をもたれさせた。猫のように目を細めている。
「腹いっぱいになったらおねむとか、赤ん坊かっての」
「うるさい……」
「おいおい本気で寝る気か?もうちょい我慢してくれ。今日はお前に相談したいことがあんだよ」
「相談?」

拓馬の肩に寄りかかったまま、カムイはその言葉を反芻した。リラックスの体勢を崩すつもりはないものの、一応話を聞く気はあるらしい。
「なんだ、言ってみろ」
「態度だけはでけえのな。……まあ、相談っつうか提案?なんだけどよ。お前、今の季節は寒さと眠さですげえしんどいだろ。昼間でも立ったまま寝そうになってたじゃねえか。危なっかしくて目を離してらんねえんだ。なんとかならねえかなと思って」
「なんとかなるなら苦労はしていない。耐えるよりほかないだろう」
「結論はそうだけどそうじゃねえんだよ!それにお前さ、しょっちゅう俺の部屋来るだろ?ここんとこは毎晩だ。いちいち扉開けんの面倒だし、ベッドは二人で寝るには狭いし……」
「…………迷惑なら、やめるが」

急にカムイが拓馬から体を離した。寄りかかられる体勢に慣れていた拓馬は、突然その重みが消えて少しだけバランスを崩す。慌てて隣を見れば、不安そうな顔をしたカムイと目が合った。
「馬鹿、違うっての!話はちゃんと最後まで聞け!」
手を伸ばし、カムイの頭をもう一度自分の方へ引き寄せた。お前の定位置はここでいいとでも言うように。カムイは二度三度と目を瞬かせた。

「だからアレだ、昼間は寝ないように俺が見張ってないと駄目で、夜は夜で俺の部屋に毎晩来るってんなら、いっそのこと一緒に暮らしちまおうぜ」
「……」
「今まで、特に必要もねえから宿舎暮らししてたけどさ、どっか広い部屋に移り住むのも有りだと思うんだよな。そうすりゃもっとでかいベッドで寝れるだろ。いちいちお互いの部屋行き来する必要もなくなるし。お前が朝とか夜に寒さでぶっ倒れてても、一緒に住んでれば俺がすぐ見つけてやれる。結構いい提案じゃねえ?」
「……」
「つっても、部屋とかはまだ全然決まってねえけど。お前がいいなら、明日にでも部屋探しに――おい、カムイ?」

相槌が聞こえなくなったのに気付いて、拓馬はカムイの顔を覗き込んだ。
「そうか……」
小さい声でカムイが呟く。その瞼はもうほとんど閉じられていた。

「迷惑でないなら、よかった……」

それきり、カムイは目を閉じて動かなくなった。代わりに穏やかな寝息が聞こえてくる。迷惑だと思われていないことが分かった途端、拓馬の提案を最後まで聞き届けることなく、カムイは安心しきった顔で寝落ちしたのだった。すやすやと眠るカムイの横で、硬直したまま動けずにいるのは拓馬だ。
「話は最後まで聞けって言っただろ……」

そんな文句も、眠り姫には聞こえていない。



「お、誰かと思ったらカムイ専用肩枕さんじゃねえか」
「なんだその呼び方……」

遅れて夕食をとりにきた獏は、二人の姿を見るなり口を開けて笑った。カムイが拓馬にもたれかかって寝るのは、この季節にはよくある光景だった。いつもと少し違うのは、拓馬がげんなりした顔をしていることくらいか。
獏は盆をテーブルに置くと、拓馬の正面に座った。盆の上には湯気の立った月見うどんが乗せられている。期せずして三人とも同じメニューを頼んだことになる。今夜はうどん日和らしい。
「釈然としない顔してどうしたよ。また喧嘩か?その割にはカムイの奴、安心した顔して寝てるけど」
熱々のうどんを啜りながら、獏は拓馬に問い掛けた。仕方なく拓馬はさっきまでのやり取りを手短に説明した。

「信じられるか?こいつ、俺が真剣な話してる最中に寝やがったんだぜ」
「さすがの拓馬も眠り姫には敵わねえな~」
「姫ってツラかよこいつ……」
「でも寝顔はかわいいと思ってるだろ」
「……」

肯定するのも否定するのも負けな気がして、拓馬は黙ってカムイの寝顔を見下ろした。普段のすかした冷たい顔からは想像できないほど、柔らかで緩んだ顔で寝ている。
こうしてカムイが無防備に寝顔を晒すようになるとは、少し前までは思ってもみなかった。地球にいた頃はもとより、火星で共に旅をした時も、始めは警戒心から拓馬や獏の見ている前ではなかなか寝ようとしなかったのだ。どんなに疲れていようが、どんなに寒かろうが、頑なに最後まで起きていた。朝一番に起きるのもカムイだった。そんな期間がしばらく続いて、ハチュウ人類は人間よりも身体スペックが上だから、睡眠時間が短くても済むんだろうなとばかり思っていた。――それがカムイのやせ我慢だったことを知ったのはもう少し後になってからだ。

旅を続けるうち、徐々に心を許すようになっていったカムイは、寝る時間も増えていった。いつからから誰よりも先に寝るようになったし、寝起きの悪さを発揮して毛布を手放さないこともあった。カムイが寒さに弱いらしいという弱点に気付いたのもこのあたりだ。その頃にはもう、眠い時に拓馬や獏に肩を借りることをためらわなくなっていた。

――そんな経緯があるから、拓馬はカムイの寝顔にめっぽう弱い。正直に言うとめちゃくちゃかわいいと思っている。
やせ我慢や強がりから頑なに隠してきたその一面を、拓馬や獏には見られることを許している。その特別感を噛み締めているとたまらない気持ちになるのだ。

「惚れた弱みだな」
獏がにやにやしながら拓馬を見てくる。やはり否定はできない。カムイの寝顔を見ていると、大事な話の途中で寝落ちされたことも、全体重で寄りかかられて肩が痺れ始めていることも、何もかも全部許せてしまう。これが弱みと言うなら拓馬はいつの間にか弱点だらけの人間になってしまったことになる。まあそれでもいいか、と平和ぼけした頭で考えた。

「それで、カムイはどうすんだ。この調子だと食堂閉まる時間になっても寝たまんまだぞ」
「運ぶの手伝ってくれねえのか」
「やだね。責任もって最後まで面倒みろよ、王子様。キスでもすりゃ起きるんじゃないか?」
「それで起きたのは最初の三回までだったな」
「もう試したことあったのかよ……」

呆れたように獏が呟いても、カムイが起きる様子は微塵もない。随分と手ごわいお姫様もいたものだ。だが、こういう迷惑のかけられ方は嫌いじゃない。
この後はとりあえず背負うなりなんなりしてカムイを部屋まで運んで、風邪をひかないよう毛布を何枚もかけてやって、そうして拓馬はその隣で寝る。今夜話した内容をどうせカムイは覚えていないだろうから、二人暮らしの提案はまた明日にでも改めて話そう。
じんじんと痺れる肩にカムイの存在を感じながら、拓馬はひとつ欠伸をした。

 


------------------------------
2021/12/13