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未熟で拙いかくしごと(拓カム)

※まだあまり打ち解けてない頃の拓カム

 


別に、気になっているわけじゃない。ただあいつの存在自体が目立つから嫌でも目に入るだけだ。
アークへの搭乗訓練を終えた拓馬は、自販機で買った紙パックのココアを飲みながら、言い訳めいた呟きを頭の中で零した。ストローの先を歯でがじがじと噛む。
今日だってそうだ。訓練後、自室へ戻ろうとする拓馬と獏に対して、カムイだけが違う方向へ歩き出したので「どこ行くんだよ」と声をかけた。深い意図があったわけでもなくただ尋ねただけだったのに、

「お前には関係ない。一々訊いてくるな」

そう冷たくあしらわれて、いい気持ちになるわけがない。一応チームメイトだろ、俺ら。馴れ合いたいわけではないが、完全に交流ゼロのまま上手く連携できるはずもない。なんとかして「普通」くらいの関係を築きたいとは思うものの、肝心のカムイがあの態度では平行線だ。

「かわいくねえ奴……」

苛立ちが大きくなってきて、またストローを噛んだ。噛みすぎて先端はぼろぼろになっている。
今日の訓練はいつもより少し早めに終わったので、夕食にはまだ時間がある。食堂が開くまでもうしばらく待たなければならない。もやもやとした気持ちを抱えながら時間を潰すのも性に合わないし、ちょっくら走ってくるか、と思い直したところで、視界に見慣れた金色が映り込んだ。――カムイだ。

拓馬はすかさず体を縮こまらせて身を隠した。別にやましい気持ちがあったわけではないが、カムイに対する文句を考えていた最中に本人が現れたので、顔を合わせるのは気後れしたのだ。
拓馬がいる場所は、吹き抜けの二階通路。対するカムイは一階の廊下を歩いている。拓馬の存在には気付いていないようだ。

通路の欄干から顔を出してカムイを観察する。カムイがやって来たのは医療エリアからだ。そういえば訓練後にカムイが向かった先も同じ方向だった。先程の訓練では怪我はしていないはずだったが、何かあったのか。
カムイの様子はいつもと明らかに違っていた。壁に手をついてよろよろと歩いている。顔色も悪い。背筋を伸ばして歩く普段の姿からは考えられないほどだ。

――あいつ、具合でも悪いのか?

咄嗟に隠れてしまった手前、声をかけるのも憚られて、拓馬はじっと息を潜めてカムイの様子を窺うしかなかった。二歩、三歩と歩いて立ち止まり、重い息をつく。険しい顔をしている。また壁に手をついて歩き出すが、すぐに立ち止まる。こんな調子では、自室に戻るまでにどれだけ時間が掛かるか分かったものではない。

手を貸してやるべきか。でもあいつにはついさっきも冷たく拒絶されたばかりだ。心配してやってもどうせまた「余計なお世話だ」とか何とか言って嫌な顔されるだけだろう。とはいえこのままじゃ本当にぶっ倒れるんじゃないのか。
……あ、ほら、言わんこっちゃない。倒れた。

「――倒れた!?」

今度は口に出していた。拓馬が見ている前で、カムイがその場に膝から崩れ落ちたのだ。こんな状況になったら、もう声をかけるべきかどうか悩んでいる暇はない。拓馬は飲んでいた紙パックを慌てて放り出すと、一目散に走り出した。階段を勢いよく駆け下りて、一階にいるカムイのもとへ辿り着く。

「おい!大丈夫か!」
床にうつ伏せになったカムイの体を抱き起こしてやる。触れた肌は驚くほど冷たかった。カムイの顔は血の気が失せて、まるで死人かと思うほどだった。
「返事しろって!おい、カムイ!」
揺さぶっても返事がない。誰かに助けを求めようにも、周りに人の気配はなかった。そうしている間にもカムイの体温はどんどん下がるばかりだ。早くどこかに寝かせてやらなければ。

「くそっ、とりあえず医療エリアに運んで……」
カムイを抱え上げた拓馬が独り言を漏らすと、きつく閉じられていたカムイの目がぼんやりと開いた。
「……そっちには、行くな」
カムイが拓馬の服を掴んでそう言った。その指先は震えている。息も絶え絶えといった様子だったが、カムイの声には明確な意志が乗っていた。拓馬は驚いてカムイの顔を覗き込む。

「は!?なんでだよ!?お前病人だろ!?」
「行くな……」
「だからなんで、」
「……だれにも、知られたく、ない……」

それだけ言い残すと、カムイの腕はまた力なく垂れ下がった。同時に全体重が拓馬にのしかかってくる。うお、と声を上げて拓馬はカムイの体を支えた。今度こそ本当に気絶したようだった。

――俺にどうしろって言うんだよ。

拓馬は途方に暮れた。医療エリアが駄目なら、あとはもう限られた選択肢しかない。仕方なく拓馬はカムイの体を引っ張り上げた。はじめは俵担ぎのように肩に載せようと思ったが、頭を下に向けるのはよくないんじゃないかと考え直し、結局横抱きで運ぶことにした。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。カムイが意識のある状態だったら猛烈に拒絶されそうだが、背に腹は代えられない。しっかり体を抱え込んだのを確認すると、拓馬は勢いよく駆け出した。



医療エリアに行くのは嫌だと言われ、誰にも知られたくないとごねられ、かといって拓馬はカムイの自室の開け方を知らない。部屋の扉を開ける暗証番号はカムイしか知らず、そして当人は意識を失って運ばれている最中だ。
カムイの言い分を蹴って無理矢理にでも医療エリアに運び込むこともできたが、「誰にも知られたくない」と言った時のカムイの声音が引っかかった。まるで何かに怯えているかのようだった。あんな絞り出すように切実な声で言われたら、無下にするわけにもいかないだろう。

そんなわけでカムイは今、拓馬の部屋のベッドに寝かされている。

布団一枚だけでは温かさが心もとないと思い、部屋中を捜索して掛け布団の代わりになりそうなものを見つけた。そこらへんに脱ぎ捨てたままの服やら、洗濯してそのままにしておいたバスタオルやらを布団の上から掛けてやった。見栄えは悪いがこれで少しは温かさが増すだろう。

それ以外に何かしてやれることはないだろうかと部屋を行ったり来たりしてみたが、医者でもない拓馬には何も思い付かなかった。仕方なく、部屋の隅に置きっぱなしにしていた椅子をベッドのそばに持ち出して腰掛ける。拓馬が椅子に落ち着くと、部屋の中が急に静かになった。

目を閉じて眠るカムイはぴくりとも動かない。ちゃんと生きてるんだろうな……と心配になって耳を澄ませると、微かな呼吸音が聞こえてきて安心する。こいつはこうやって寝るのかと思った。行儀よく、ともまた違う。死んだように、隠れるように、この世界の限られた空間を僅かでも占領することがないように。

寝てる時までこいつは何かに気を遣ってやがるのかと思うと苛立ちが湧き上がってきた。カムイ自身にではなく、カムイにそうさせている大きな「何か」に対して。所在のない苛立ちはどこにもぶつけることができず、拓馬は腕組みをしてカムイの寝顔を見つめるばかりだった。

「……早く起きろよ、この馬鹿」
聞こえるか聞こえないかの音量で呟いた。するとその声に応えるようにカムイの目が静かに開く。天井を見て、傍らの拓馬を見て、また天井を見た。ここが拓馬の部屋だと理解したらしい。

「カムイ、」
「……」
「おい、ちょっ、いきなり起きんなよ!」

驚いた拓馬がカムイに呼びかけるより先に、カムイは突然体を起こしてベッドから下りようとした。しかし覚醒直後に体が自由に動くわけもなく、カムイは眩暈を起こしてぐらついた。傾いだその体を拓馬が慌てて支える。抵抗する体力もないのだろう、カムイが拓馬の腕を押し返すことはなく、素直に腕の中に収まった。

「言わんこっちゃねえ……まだもうちょい横になっとけって」

拓馬に促されるまま、カムイはまたベッドの上に体を倒した。不本意そうではあったが、それを実行するには体が言うことをきかないらしい。呼吸は浅く、顔色も相変わらずよくない。
カムイは布団の上に敷き詰められた拓馬の服やタオルに目をやった。いくつかはさっき起きようとした時に床に落ちてしまっている。片方だけの靴下を指でつまんで、明らかに嫌そうな顔をした。

「お前、寒そうにしてたから、なんか掛けて温めてやらねえとと思ってさ。それはちゃんと洗濯してあるやつだぜ」
「……」

そういう問題じゃない、と顔に書いてあった。だが、拓馬がカムイのために奔走した結果がこれなのだということは分かったのか、文句を口に出すことはなかった。
文句は言わない代わりに、カムイは値踏みするような目つきで部屋をぐるりと見回す。服やごみが散乱している。飲んでそのままにしてある空のペットボトル、片方だけの靴下、何かの数字が走り書きされたメモの切れ端。いつ渡されたのかも定かでない書類は、提出期限などとっくに過ぎているだろう。ここに来てまだ日は浅いというのに、拓馬の部屋はもう散らかりきって生活感丸出しだった。

カムイは大きな溜息をひとつ吐き出した。何も言われてはいないが、明らかに馬鹿にされている空気を感じて拓馬は眉根を寄せた。
――本当に、かわいくねえ。追い出してやろうかとも思ったが、最初に引き止めたのは自分なので「やっぱり出てけ」とも言えない。

むかむかした気持ちを振り払うように、拓馬は部屋の簡易キッチンに向かい、冷蔵庫を開けた。中にあるミネラルウォーターを手に取ってカムイに投げようとするが、寸でのところで手が止まる。ぐらついた体を受け止めた時に、カムイの指先が震えていたことを思い出したのだ。拓馬は少し考えたあと、ぱきりと蓋を開けてから、ベッドにいるカムイに直接手渡してやった。

「ほら」
「……蓋くらい自分で開けられる」

案の定カムイは不服そうな声を上げた。いつものように投げてもカムイは問題なく受け取っただろう。蓋を開けて手渡したのは、単に拓馬がそうしたいからやっただけだ。
カムイはミネラルウォーターと拓馬を交互に見たが、やがて渋々というようにペットボトルを受け取った。プライドより喉の乾きを優先させたらしい。カムイはごくごくと音を立てて半量をあっという間に飲み干した。いい飲みっぷりだな~と囃してやると鋭い目で睨まれる。

「お前、いきなりぶっ倒れたから驚いたぜ。訓練の後なんかあったのか」
「……」
拓馬の問いに、カムイはまた黙り込んでしまった。聞いちゃいけないことだったかと思ったが、カムイは数秒の沈黙の後、「定期的に採血しているんだ」と呟いた。

「採血?血ぃ抜いたのか」
「ああ。俺の血は特殊だから、検査や研究に必要らしい。今日はいつもより多めに採ったから、貧血を起こしてしまったんだろう」
「多めにってどんくらいだよ」
「六百ミリリットルと言っていたな」
「そこそこの量じゃねえか……」

確か、血液の約二十%を失うと失血性ショックが起こるのではなかったか。体重五十キログラムなら八百ミリリットルだ。
ただでさえゲッターの搭乗訓練は身体に多大な負担が掛かる。いくらカムイが常人より頑丈なつくりをしているとは言っても、訓練直後に大量の血を抜けば貧血状態に陥るのも無理はない。

こいつがこんなことになってるの、俺以外に知ってる奴いるのか?いや、いないだろうな……と、拓馬は内心溜息をついた。息も絶え絶えに「誰にも知られたくない」と懇願してきたくらいだ、自分の口からは絶対に言わないはずだ。案の定、カムイは「それがどうした」というような顔をしている。

「大した問題じゃない。今までだって一人で対処してきた」
「たまたま見つかってこなかっただけだろ」

カムイの口ぶりからして、採血後に倒れたのが一度や二度ではないことは想像がついた。一人で倒れて、そのまま誰にも見つからず放置されて、しばらくして目が覚めたら何事もなかったかのようにふらふらと自室に戻る。そんなことを今まで何度も繰り返してきたのだろう。本当に馬鹿だこいつは。

「医療チームの人らは、お前が採血後にぶっ倒れてるなんて知らないんだろ?そういうことはちゃんと報告しとけよ。訓練後の採血は無しにするとか、採血量を減らしてもらうとか、何かしら対応してもらえんだろ」
「そんな我侭を言うわけにはいかない」
「バッカ、そんなん我侭のうちに入らねえよ。むしろ義務だ義務。やせ我慢してたって何の得にもなんねえぞ」
「……俺の利用価値が下がるとしても?」
「はあ?」

思いがけない言葉がカムイの口から飛び出してきて、拓馬は目を剥いた。利用価値。拓馬にとっては馴染みがなさすぎる言葉だ。しかしカムイにとっては切実な問題であることは、その声音から伝わってくる。

「ハチュウ人類と人間の混血で、ゲッター線に耐え得る身体だからこそ、俺の血には利用価値がある。そこに異を唱えれば俺はここにいられない。余計なことを言う道具は捨てて、また代わりを見つけるだけだ。……人間とは、そういうものだろう」

カムイが「誰にも知られたくない」と言ったのは、ひとえに自分の弱さを曝け出したくないからだ。
採血後のケアが必要だと分かれば手間が増える。弱音を零して、我侭を言えば、道具が余計なことを喋ったと思われる。それだけで「利用価値」が下がる。価値の下がった道具は、いらない。
――そうして捨てられるのが怖いから、一人でじっと耐えるしかなかった。どれだけ辛い訓練だろうと、どれだけ負担の大きい検査だろうと。自分の居場所を守るために、必死でなんでもないふりをしてきた。

採血の後、廊下で失神した自分に気付いた時、誰かに見られていないかを真っ先に確かめた。誰にも見られていないことを確認してほっと胸を撫で下ろした。見られてはいけない。知られてはいけない。この弱さは、誰にも。

――目の前にいる青年に、幼い少年の姿が重なったような気がして、拓馬は首を何度も振った。カムイの子供の頃など知らないはずなのに。幼い少年がひとりぼっちで泣いている姿が目蓋に焼き付いて離れない。
拓馬はもう一度カムイをじっと見つめた。泣いてはいない。だが、どこか心細そうな顔をしているように思えた。

「確かに、使えるか使えねえかで他人を判断する奴は多い。自分基準の物差ししか持ってねえクソ野郎だよ。だが神司令は――早乙女研究所の人らは、そういうのとは違うだろ。付き合いの長いお前の方がよく分かってるんじゃないのか。ぽっと出の俺なんかより、ずっと」
「……分かっていても、信じきれないことはある」

カムイの声は静かだった。拓馬の言葉を受け止めながらも、どこかで明確に境界線を引いている。決して相容れないもの、理解のできない価値観がそこにある。――今はこれ以上踏み込めない。拓馬は直感的にそう感じ取った。

「……そーかよ。だったら俺にも考えがある」

拓馬がどれだけ言葉を重ねたとしても、カムイの考えはそう簡単に変えることはできないだろう。しかしだからといって、こいつをこのままにしておくわけにはいかない。誰にも頼れない心細さは拓馬にも少しは分かる。
そして何より、「誰にも知られたくない」と言ったカムイが、拓馬にはその弱さをほんの少しだけ見せた。たとえそのきっかけがカムイにとって不本意なものであるとしても、見てしまった以上はとことん首を突っ込むのが拓馬のやり方だった。踏み込めない場所があるなら、そことは違うところから首を突っ込めばいいだけの話だ。

「カムイ。これからお前が採血しに行く時には俺もついてくからな」
「は?絶対にやめろ」
「ぶっ倒れてることを知られたくないんなら、ぶっ倒れる前に体支えてやる奴が必要だろ」
「だから俺一人で対処できると……」
「対処できてねえからここに運び込まれてんだろうが。文句言うな」
「……」

畳み掛けるように言うと、さしものカムイも言葉に詰まって眉根を寄せた。倒れたところを拓馬に発見されて、部屋に運び込まれたのは事実だ。「一人で対処できる」という言葉に説得力がなさすぎることはカムイ自身も自覚していた。だが採血に付き添われるなんてまっぴらごめんだ。抗議の意味を込めて拓馬を睨むと、

「じゃあお前が採血後にぶっ倒れてること、神司令にチクってもいいんだな」

そんな脅し文句を突きつけられる。それはもう意地の悪い顔で。カムイは目の前の男に弱みを握られたことを激しく後悔した。――しかし同時に、安堵してもいた。脅しめいたことを言ってはいても、その実、拓馬がその告げ口を実行に移すことは決してないと分かっているからだ。粗野で乱暴な男だが、相手が本当に嫌だと思うことは絶対にしないのが流拓馬という人間だった。その点は信じてやってもいいと思えた。

「肉体労働したら腹減ったな。もう食堂開いてる頃だろ、一緒行こうぜカムイ。立てるか?」
差し出された手を、カムイはじっと見つめた。
懲りない奴だと思う。どれだけ振り払っても、拓馬は何度でも手を差し伸べてくるのだろう。……たまには応じてやってもいい。カムイはおもむろに拓馬の手を取った。

「おっ、今日はやけに素直だな。弱ってるからか?」
「一言余計だ」

脇腹を小突くと、拓馬が明るく笑った。雑然とした拓馬の部屋を出て、二人並んで廊下を歩いていく。カムイの足はもうふらついていなかった。

 


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2021/11/14